美しい五月の始まり

水曜日・晴れ / 最高気温24度
7時10分起床。気持ちよく晴れ上がった素晴らしい日だった。久しぶりのウォーキングも出来たし、気になりながら手つかずにいたことなども少しずつはかどった。


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ここ数日の体験で午前中、それも早い時間には花粉もそれほど飛んでいないことが分かり、今朝は8時過ぎに家を出ていつもの道を 7590歩・69分歩いて帰宅した。朝食はそれからゆっくりと1人でとる。

気がかりなことのひとつは、この Blog のこと。今使っているサーバは アップルの提供してきた iDisk なのだが、これが6月には無くなってしまうのだ。引っ越し先は iBlog を使った “Mein erster Blog” が置いてあるロリポップに決めていたが、そのための設定法が分からない。しかしこういう時には心強い神様がいらっしゃるので今回も彼に教えを請うた。

10時頃に朝食をとったのに午後1時頃になったらまた空腹を憶えた。この年齢になるとお腹が空くという事は嬉しいことだ。先月なかばに行ったきりのケバブ屋さんで食べることに昨日から決めていた。今日はトルコ風の前菜も注文して食べてみた。ほうれん草を春巻きの皮のようなもので包んだものがおいしい。ゆっくりと食べて午後3時頃に帰宅。

そのあとは夕方まで Blog のエントリを書いたり、結婚式の写真を整理したり、 Blog の引っ越しを試行錯誤したりで時間が過ぎていった。ブリギッテは仕事が終わってからパーティに出なくてはならず帰宅が遅くなった。わたしはちょっとしたおつまみで Weißbier を飲んでそれで夕食とする。

妻と iPad

今年の3月なかば、妻の誕生祝いにと新しく出たばかりの iPad をプレゼントした。それから一ヶ月を過ぎて彼女がそれをどのように活用しているかをレポートする。

わたしは iPad が彼女の生活スタイルにはピッタリ来るだろうとは予測はしていた。わたしがプレゼントすると言うと彼女はあまり乗り気ではなかったのだが 「通勤途中に Tram の中で新聞を広げることなしに読めるよ」と理由付けをして納得させた。しかしこれほどまでに彼女の生活に密着するとは想像していなかった。

いざ、自分で手にとって使い始めてみると iPad は実にすんなりと彼女の日常に溶け込んでいった。誰かが書いていたが 「スルリと生活の中に入り込んでしまった」 のである。彼女はこれまでも iMac には親しんでいたし iPod Touch も使っていたから操作に関しては殆どわたしが説明することはなかった。

それからは朝、眼が覚めるとベッドの中で既に iPad をいじってメールをチェックしている。朝食のテーブルに着いてもその横には iPad が鎮座していて彼女はなにやらメモをしている。時にわたしが話しかけても生返事が返ってくる始末。「以前は食卓でわたしが MacBook Pro 15 をいじっていると、さんざん文句を言ってたのはどなたでしたっけ?」と冷やかすと 「あなたは遊びでいじっていたけれど、わたしは今日中にやらなくてはならない生活の事柄をメモしているんです」という答えが返ってくる。(笑)

そんなわけで彼女の手から iPad が離れるのは眠っているときとシャワーを浴びているときと庭仕事をしているときぐらいである。台所に立っているときにはインターネットで捜したレシピを表示させて調理台の上に置いてあるし、もちろんトイレに入るときには必ず持っていく。(^_^;)

どうして iPad がこのようにすんなりと彼女の生活に入り込んでしまったのかだが、それにはいろいろな理由があるだろう。わたしに考えるられるのは大きさが手頃であること、反応が速いこと、そして画面が美しいことだ。とりわけキビキビした動作は特筆すべきもので短気な彼女を怒らせることもない。


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結婚式ではドイツの習慣として花嫁の父がスピーチをするのが普通である。わたしも今回はがんばったのだが、お客を前にさすがに1人でドイツ語で挨拶するのは気が重く、わたしが前半、ブリギッテが後半を担当した。わたしはもちろんスピーチの内容を紙に印刷し、それを見ながら話したのだが、ブリギッテはなんと iPad の中に挨拶文を入れておき、それを手にして結婚式の挨拶をした!自分の娘の結婚式の挨拶を iPad を使ってやる母親というのも珍しいのではなかろうか。

わたしがこれまで iPad を自分用に買わなかったのは MacBook Pro 15 との使い分けが出来るかどうか自分でも分からなかったから。しかし iPad はそういう性格のものではないようだということに気がついて、今はわたし自身、自分用に iPad を買おうかなと考えないでもない。しかし6月に行われる WWDC 2012 では何か素敵な新しいものが出そうな噂。それを待ってからでも遅くはないと思っている。