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2008年02月19日

現代・西遊日乗 1(1978 - 1985) / 尾高修也著(美巧社)

image 年の始めに日本から思いがけず一冊の本が届いた。開封してみるとなつかし著者の名前が。旧知の友人である尾高修也氏の旅行記であった。

尾高修也氏とはいわき市に住むわたしの恩師を通じて知り合った。尾高氏と恩師との友好は既にそれ以前から続いていたのである。年齢はわたしより10歳ほど上で、そうたびたびお会いすることはないが、非常に品格のある優しいお人柄である。

知り合ったのは、わたしが花王石鹸をやめてから3年後に東京芸大に入学した頃で、彼も「文藝賞」獲得を機にそれまで勤めていたミキモトを退社され、文筆業一本の生活に踏み出された頃。今、振り返ってみるとお互いにそれぞれの人生の大転換という地点に立っていた。

それ以来、恩師が何か楽しいことを企画した時には、そこに尾高氏が加わることも珍しくはなかった。懐かしく思い出すのは厳冬の京都を恩師ご夫妻、尾高氏と共に数日間訪れたこと。30年前の京都の冬は訪れる観光客も比較的少なくてゆったりとした旅が楽しめた。

今回送っていただいた本は、わたしがドイツに渡ったあと、それまで彼が温めていた企画を実行に移したヨーロッパ旅行記である。文学を志すものとして先達が辿ったヨーロッパの道をなぞってみたかったのだろう。ささやかながら、わたしがミュンヘンにいたという事実が彼の言う「西遊」への引き金になったのかもしれない。

ぎっしりと詰まったヨーロッパ旅行の淡々とした記述の合間に、ときおり著者の漏らす感想が現れるが、その文体とそこから醸し出される清冽さとがこの本の読みどころのような気がする。カバーの清々しい雰囲気を感じさせるコラージュの絵は恩師のご主人である若松光一郎画伯のものである。著者の文章と画伯の絵の合致したコラボレーションがすばらしい。

この本の最初の方には実物大の30年前のわたしも出てくるので、当然ながら思わず引き込まれてしまった。記録として読んでみると、ずいぶんわたしの思い込みで間違った記憶があることも確認。新婚当時のわたしに「君はブリギッテより9歳も年上なんだから大人として彼女に接し、優しくしてあげなくては」との助言をもらったのが昨日のようだ。詳しい内容の方は、もし興味がおありになったらお買い上げになって読んでみてください。(1500円+税)
下に本書の帯にもあった尾高氏の文章を引用しておきます。

わたしの旅の動機は、多くの人とは違っていたかもしれない。わたしはすでに死語なってしまった「西遊」ということばに今の光を当ててみたかった。あの懐かしい「西遊」ということばは、いま実際にどういう体験になり得るであろうか。過去の洋行文学者たちの経験の上に立って、いま何が見えるだろうか。そのことに対する好奇心ともいうべきものを、わたしは押さえられなかったのである。(本書より)