最後まで DB に泣かされる

2023年2月12日()、曇り/最高気温9度

7時起床。

Düsseldorf・ホテルでの目覚め。シャワーを浴び身支度を整えて朝食をとらずにチェックアウト。

Düsseldolf 駅に着いてみると予定していた列車が急に取り消しとなっていた。ちょっと焦ったが S-Bahn でも行ける距離なので急遽それに切り替える。Wuppertal に着き、駅前からバスに乗って目的地へ。11時開始のブランチ・パーティーには余裕で間に合った。

今日はブリギッテのおばさんの90歳の誕生日を祝うパーティーだった。約40人ほどの家族とお客が参加。

IMG 3300

お料理も悪くなく、良い雰囲気のままパーティが進み16時頃のお開き。私とBrigitteはおばさんの家まで一緒に行き、そこでお茶を飲みながら歓談。

叔母さんの子供や孫たちが1人、また1人と席を立って去っていく。われわれは、19時14分の列車を取っていたので、最後まで残ることになった。疲れたろうけれど、おばさんにとっては全員が一緒に消えるよりも精神的に良かったと思う。

Wuppertal 駅に着いてみると、19時14分発の列車が19時34分発と20分遅れに変更になっていた。待合室で30分待つことになる。そしてやってきた列車は遅れに遅れてミュンヘンには予定時刻を1時間も過ぎて到着。(0時53分着)。

Hauptbahnhof から U-Bahn に乗り継いで幸いにも最終のトラムに間に合った。帰宅したのは午前1時45分。就寝は2時半。

今回は最初から最後まで Deutsche Bahn (DB) のいい加減さに振り回された旅だった。スマートフォンが無かったらどんな旅になったことかとゾッとする。

Immermannstraße の印象

2023年2月12日()

今回の旅に同行することは乗り気ではなかった。ブリギッテの叔母さんの90歳の誕生祝いにはブリギッテがひとりで出席すればよいことだと考えた。しかし Düsseldolf で日本食を食べようというブリギッテの投げた好餌につられて同行することになる。

昨年9月にも 文化を配慮した介護 DeJaK-Tomonokai e.V. の総会出席のために Düsseldolf は訪れていたのだが一泊しただけだったから観光する時間は取れなかった。リトル東京と言われたほど日本人訪問者が多く、日本人経営の店が多かった Immermannstraße を今回はゆっくりと歩いて見たかったのだ。

わたしの記憶は遠く40年ほど前の1980年代初頭のもの。テノール歌手として初めて契約した劇場がゲルゼンキルヒェン(Gelsenkirchen)という街で、そこは Düsseldolf からほど近いところにあり、劇場が休みの時には何度か友人の車に乗せて貰い Immermannstraße を訪れた。

そのころは緑の多い落ち着いた華やかな空気の大通りだったという記憶がある。大通りの中心には日本航空の経営する高級ホテル「ホテル・日航」があって今回わたしはそこへ宿をとった。しかしその建物は数ヶ月前から
Clayton Hotel Düsseldorf という名前に変わってしまっていた。

大通りを歩いてみると、わたしの記憶にあるものとはずいぶん異なっていて大いに落胆することになる。

まず歩道が鳩たちの糞でとても汚い。写真で見られる白い点々がそれ。驚いたことに歩道には粗大ゴミまでが置かれてそのままになっている。

Immermannstraße 昼間:IMG 3566

Immermannstraße 夜:IMG 3288

通りに沿って建ち並ぶ商店の数々は中国語の看板も多い雑多な印象。人気のあるラーメン店に列を作って待っている人たちの光景もわたしの記憶にはそぐわない。

ラーメン店前の行列:IMG 3234

これもグローバリゼーションによる日本企業の撤退によるものなのだろうか。「夏草や兵どもが夢の跡」という句が浮かんできた。