2025年12月20日(土)・曇り一時雨/最高気温13度
7時半起床。
ホテルを移り、ベッドが代わったせいか今朝は起床時に背中(腰)の痛みを感じた。例によって30分ほど後にはもとにもどるのだが。やはり固いマットレスで寝るとこの現象が出る。若いときにはこの硬さのベッドが気持ち良かったのだが、これも老化現象のひとつだろう。
今日は今回の旅の目的のひとつである小平を訪ねてみた。わたしが東京藝大に入学するまでの準備時代、そして入学してから大学院を卒業しドイツに渡るまでの10年間を過ごしたアパートである。いつかはもう一度訪れてみたいとは思っていて、もう何度も一時帰国をしていながらこの案を実行することはなかった。しかし、「今回行かなかったらこのあとは無いだろう」と思う。
山手線で高田馬場で西武新宿線に乗り換え小平駅までの道のりは 「こんなに時間が掛かる行程だったのか!」 と驚いた。なんで藝大にもっと近いところに引っ越さなかったのだろう、とあの頃の自分が不思議だった。この距離と時間をそれほど苦痛に感じなかったのはやはり若さか。それと引っ越しが面倒くさかったのだろう。
それと思い出したことがある。藝大での授業を終わったあと、級友の多くは自宅か自分のアパートに帰っていったが、わたしはその時間帯の電車の混雑状態を避けるために学内の練習室に入ってラッシュアワーが過ぎる時間まで練習に励んだのだ。結果としてよく練習に励んだことになる。
小雨が降ったのか表面が濡れた道を小平駅からアパートがあったところまでゆっくりと歩く。普通に歩いて7〜8分の距離だったがその距離感は昔のままだった。いざ、その場所に立ってみる。勿論だがわたしが住んだその当時のアパートはなく、しっかりとした作りのアパートになっていた。アパートの裏はその頃は畑だったのだが今はギッシリと家が詰まっている。
向かいに 「畳屋」 さんがあって中で職人さんが畳を作っているのを見かけ、ガラス戸を開けて話を聞いてみた。この畳屋さんはわたしの記憶には全く残っていない。その人はまだ50歳台の人で、彼のお父さんがその当時の店主だったそうだ。その店の向かいに立っていたわたしが住んだアパート「三英荘」のこともよく憶えていた。「今と違って、鉄製の階段が横に付いていてね・・・」と言われて、そうだった、そうだったと頷き返す。畳屋さんの隣にあった寿司屋のこととか、アパートの裏にあったスナックなどももよく憶えていて、ひとしきり話が弾む。
わたしも充分に昔を振り返ることができ、満足して駅への道を引き返す。駅の線路を挟んだ反対側には「小平霊園」があってたまには散歩したものだが、霊園は勿論そのままに存在している。
そこでまた思いだした事がひとつ。小平駅の側には「銭湯」があって、フロ好きのわたしは10分ぐらいの距離をよく歩いて利用したものだった。そのころ流行っていた歌が「神田川」だった事も思い出す。
18時30分から新宿の 「銀座ライオン新宿エルタワー店」 でクラシック音楽愛好者の集いである KURAOKA の忘年会があってそれに参加した。毎年わたしのもとには出欠の問い合わせが来ていて、これまで参加することは叶わなかったが、今回はようやく念願が叶った。
参加者はわたしが想像していたよりも多くて盛会だった。普段インターネットで見かけた人たちにできるだけコンタクトしようと努めたがなかなか難しい。2時間をそこで楽しみ、2次会に移った。ここでも楽しい時間と美味しい魚料理を満喫し24時近くのお開き。ホテルにもどったのは0時半。快い疲れを感じている。