初めてのベトナム料理店を試す

2024年6月12日(水)・曇り/最高気温17度

7時起床。

昨夜は夜中に起きることなく6時まで通して眠れた。やはり昼寝はできればしない方が良いのかも。

朝食のあとブリギッテは忙しそうにして出掛けていった。今日の彼女の予定を訊くといくら何でも詰め込みすぎだろうと思うのだが、彼女には彼女なりの生活のリズムがあるのでわたしがとやかく言うことではない。

わたしは11時ごろに家を出て街へ出る。昨日は家に籠もりきりだったから今日は外の空気を吸いたい。昼食は Rosenheimerplatz の Tram の駅そばにあるベトナム料理店。ここは初めてでお昼の定食だったからなんとも言えないけれど、それほど良いとも言えない。前菜には春巻きを選んだのだが、ちょっと油の使いすぎ。

そこを14時前に切り上げて帰宅の途につく。帰宅後は昼寝。

ブリギッテは最後の予定だったミアの幼稚園の催し物から18時過ぎに帰宅した。さすがに疲れた様子。

無為の一日

2024年6月11日(火)・曇り/最高気温14度

7時起床。

一日中曇り空、しかも気温はグッと下がった14度。こんな日はモチベーションがグッと下がってしまう。

曇り空だから散歩には出掛けられるのだが、昨夜の雨で森の中の道はぬかるんでいるに違いない。そんないいわけを自分にして結局家からは一歩も出なかった。

しかし今夕は2時間ほどだけれどカローラに Mia のベビーシッターを頼まれて彼女の住まいまで出掛けていった。そのあとはブリギッテが替わってくれたので帰宅してからゆっくりと Weißbier を楽しむ。今日のような一日を「無為の一日」と言うのだろう。

木々の緑が素敵だ

2024年6月10日(月)・曇りのち晴れ/最高気温21度

7時半起床。

ここ二晩ほど足のふくらはぎが痙るので眼が覚める。まあ、それ用の錠剤を飲めばすぐに痛みは消えるのだけれど原因は何だろうと気になる。やはり「老化」なのだろうか。

ブリギッテは午前中から朗読のボランティアに出掛けた。わたしは数通メールを書いた以外は何をするということも無く午前中を過ごしてしまった。

午後、散歩に出掛ける。日本から戻ってきて初めての森への散歩である。3週間ほど留守にした間に森の景色はずいぶん変わってしまっている。草木が元気よく茂っていて今まで遠くからでも見えていたベンチが見えなくなっていた。新鮮な緑の中を歩いていると心が落ち着くような気がした。

夕方からまた「山田五郎のオトナの教養講座」でバベルの塔に関する考察を見ていた。知らなかったことが多くてそれらが解き明かされるのはとても楽しい。

夕食を食べたあとニュース番組を観て、ヨーロッパ議会の新しい議席の件についてずいぶんと危惧を感じている。極右政党の AFD の伸長が著しいのは歴史が巻き戻されるような気がしてならない。

ちょっとした家事仕事をする

2024年6月9日(日)・小雨/最高気温20度

7時半起床。

午前中に各部屋に掃除機をかける。先週、日本から戻ってきて家の中の埃っぽいのが気になっていた。今日は1人なのでゆっくりと急がずに掃除機をかける。

それが終わってから「クリームシチュー」を作った。わたしの腸はご飯を食べると快調なような気がする。もしかすると2週間の日本滞在で身体が日本食に慣れてしまったのかも。

午後から出掛ける予定にしていたのだが、お会いする人が急に体調が悪くなったというので取り止める。

そのあとはお昼寝をしっかりとり、眼が覚めてからは久しぶりに YouTube の「山田五郎のオトナの教養講座」を3つほど観て楽しんだ。またアルテ・ピナコテーク (Alte Pinakothek) に行ってアルブレヒト・アルトドルファー (Albrecht Altdorfer)の絵を観たくなった。

ブリギッテは21時ごろに帰宅。今日も列車運行が混乱していて予定よりだいぶ遅くなったようで、彼女はプンプン怒っていた。

ゆったりと1人の時間を楽しむ

2024年6月8日(土)・晴れのち小雨/最高気温26度

7時起床。

9時過ぎにブリギッテは Burglengenfeld へ向かった。今夜、ユリア夫婦が催し物に招かれているので3人の孫たちのベビーシッターだそうだ。

わたしは昨夜も足が痙ったりして熟睡できなかったから、10時ごろから二度寝をした。

一時帰国時のブログを整理してアップしたらもう午後になってしまった。

夕食は長年の友人と懐かしのイタリアレストランへ。時の流れが感慨深い。22時15分の帰宅。

友人の Liederabend を聴く

2024年6月7日(金)・雨のち晴れ/最高気温22度

7時起床。

朝食は昨夜泊まったカローラ、ミアを加えて4人でとる。

お天気は朝から不安定で晴れていたかと思うと急に激しい雨が降ったり。こういう日は体調にも気をつけないと。

午後は今回の日本一時帰国の間に書き溜めておいたブログ原稿を整理して少しずつアップする。まだ時間が掛かりそう。

夕方19時半から旧同僚の浦野実成さんが Liederabend で歌うのでブリギッテと一緒に出掛ける。会場は Schwabing にある Seidlvilla というこじんまりとした雰囲気の良いところ。Schubert と日本歌曲のプログラムで聴きごたえがあった。

帰宅途中でブリギッテが空腹を訴えたので BergWolf で CurryWurst を食べてきた。たまにだとこれもおいしい。

身体が重く感じる

2024年6月6日(木)・晴れ/最高気温25度

8時起床。

昨夜はかなり激しい足の攣りで眼が覚めた。本当に痛かった!

今日はその月の第1木曜日で、仲間だった合唱団員の集まる日。参加は自由だが先月は欠席していたので今日は行ってみることにする。

昨夜は少し飲みすぎたという自覚があるので昼間からのビールは控えることにした。2時間ほど旧同僚達とお話しをして帰宅の途につく。家に着いたらブリギッテはミアを連れて Grünwald に行っていて留守。

今日は一日中からだが重いので、早寝するつもり。まだ長旅の疲れが取れないのかも知れない。

オレンジサロンに出席

2024年6月5日(水)・晴れ/最高気温23度

8時50分起床。

やっと時差ボケから解放された。5時少し前にトイレに起きてからまた眠ることができて眼が覚めたのは8時半過ぎ。実に気持ちの良い目覚めだった。

午前中もゆったりと過ごして午後3時からの「オレンジサロン」に出掛ける。

今日の「オレンジサロン」は7名の出席者。 DeJak から出ている「備えファイル」について話し合った。相続と葬儀の件でお互いの意見を交換し合い有意義な情報交換の場となった。

そのあとは近くの Café で希望者の4人がビールを飲みながら歓談。これは特にテーマが有るわけではなくおしゃべりの場。

帰宅は22時を過ぎていて、ひと月に1度の日本語によるおしゃべりは精神的に良いものだということを実感する。

ミュンヘンに戻ってから初めての太陽

2024年6月4日(火)・晴れ/最高気温21度

7時起床。

昨夜も時差ボケ特有の症状で午前4時頃に眼が覚めてそれから眠れず。しかし内容は少しずつ平常に戻っている体感がある。もう少しかな。

朝食のあとブリギッテは Mia を幼稚園に送っていった。帰宅してからは久し振りに自分の机で書き物ができるので彼女は嬉しそう。

今日はできるだけ太陽の光を浴びて体調を元に戻すことに努めた。12時半頃にキオスクまで往復15分ほどの距離だが歩いて郵便物を出しに行く。

15時ぐらいからは Giesing まで Tram で行き、そこでひげそりのカミソリを購入。今回は日本でホテルで出してくれた使い捨てのカミソリで顔をあたったのだが、これが意外と気持ち良かった。そこでしばらくそれを試してみたくなったのである。

そのあと Südtirollerstr. まで歩きそこから Tram に乗って7000歩ほど歩いて帰宅した。これで今夜は朝まで通して眠れると良いのだが。

お昼にしっかりと食べたので夕方になってもお腹が空かない。サラミソーセージと Weißbier で夕食は済ませる。

寒い

2024年6月3日(月)・雨/最高気温16度

7時半起床。

今回の時差ボケはなかなかキツイ。午前3時過ぎに目が覚めてそれからあとはなかなか眠れなかった。

ブリギッテが10時過ぎにボランティアの朗読に出掛けたあと、たまらずにベッドに戻る。一時間ほど眠れたけれどそのあとも時差ボケの症状は治らない。

午後からはなんとか夜まで起きていようと思ったのだが、16時ごろからまた一時間ほど眠ってしまった。

18時に Bella Roma で夕食。日本旅行に同伴したわたしにアンナがお礼にとご馳走してくれた。もちろんブリギッテ、そして今日もまたわが家に泊まるミアも一緒。アンナも今日は一日中時差ボケの症状が出たようだった。Pizza を食べて帰宅。

ここ数日降り続いている雨のために Regensburg のあたりは洪水で大変なことになっている。これも地球規模での天候異変のせいらしい。

時差ボケで昼間に睡魔が

2024年6月2日(日)・曇り/最高気温18度

7時半起床。

昨夜は午前3時ごろからときどき眼が覚めてあまりよく眠れなかった。まあ日本から戻って第一日目というのは時差ボケでこんなものだろう。昨夜から泊まっているミアに起こされた。

朝食はアンナをまじえて4人でとる。ブリギッテがキオスクまで Semmel を買いに行ってくれた。アンナは全く時差ボケがなくて朝まで通してグッスリと眠れたそうだ。

カローラがミアを迎えに来た時点で日本からのお土産の開陳。こうしてみると余りたいしたものは買っていなくて、娘たち、孫たちへのお土産を除くと殆どが食料品。

13時半頃に急にフワーッと眠くなってきたので昼寝。その間に4人は動物園に行ったらしい。

ラザーニャでの夕食後アンナ、カローラ、ミア、の3人は帰っていった。

20時ごろから猛烈に眠くなってきてたまらずに就寝。これで明日からジェットラグが消えると良いのだが。

14日目:東京→ヘルシンキ→ミュンヘン

2024年6月1日(土)・東京は曇り、ミュンヘンは雨

3時45分起床。

羽田発、8時25分の飛行機に乗る。ヘルシンキまではJAL、ヘルシンキからミュンヘンは Finair だった。

ゆっくりと身支度を調えてホテルの前から5時半発の京急リムジンバスに乗る。けっこう混んでいた。

ヘルシンキまでのJALは添乗員も親切だったし、食事もおいしかったが、とにかく乗っている時間が長い。北極点の近くを跳んでいたようで12時間以上掛かっていた。ただ飛行機の窓からは緑と青のオーロラが見えていてわたしには珍しいものだった。

実は一昨日飛行機のチケットを見直して気がついたのだが、ヘルシンキに到着するのが15時40分で乗り次の Finair の出発時間が16時15分と35分しか無い。これはいかになんでも無理だ。

何とかなるだろうと腹をくくっていたが、飛行中はやはりそれが気になって落ち着けなかった。しかしそれは Finair の出発時間が遅れたことで解消した。わたしの他にもそのような乗客が数人いたようだったから計らってくれたのかも知れない。

ホッとしたのかヘルシンキからの機内でわたしは爆睡。ミュンヘン空港に到着すると雨だった。

いったんアンナもわが家に落ち着き、夕食を食べたあと自宅に戻っていった。

13日目:食料品の買い出しと荷造り

2024年5月31日(金)・雨のち曇り/最高気温22度

6時半起床。

昨夜は就寝前に脂っこいものを食べたせいか眠りはあまり良くなかった。

9時半にアンナと待ち合わせる約束をしていたのだが、窓の外は雨。これでは外歩きは辛いのでアンナと話し合って今日はお互いに自由行動にしようと決める。この案に彼女は我が意を得たりと歓んだが、わたしも落ち着いて最後の日の荷造りをしたかった。

今回は親戚一同が集まる機会があったり、友人宅に数泊させて貰ったりしたので運んできたお土産が多く、それらが全て無くなった今、トランクの中はガラガラ! 孫たちへのお土産のほかにせっかくだから食料品を詰め込んでいこうと思う。

途中でアンナの眼鏡買いに付き合う。これにはわたしの通訳が必要だった。日本に着いた翌日 JINS で一つ作ったのだが、それが気に入ってもう一つ作りたくなったらしい。現在は為替のせいもあるがとにかく安い! ほとんどその場で出来上がる JINS のサービスには彼女も驚き、満足げ。

わたしは Atré の中の成城石井でミュンヘンに持っていきたい食料品のほとんどを揃えた。そこに売っていないものはこのホテルの一階にある「大井食料品館」で購入。まずはミュンヘンでは手に入らないものを買い、次にミュンヘンで買えても値段の差が大きいものを探して購入した。旅の最後の日はいつもこんな感じである。

14時半頃から「お風呂の王様」で入浴。今回の旅では4回も温泉(大浴場)に入ることができたので大満足。

18時半にアンナと今回最後の夕食に出掛ける。締めはやはり「丸八」のトンカツ定食になった。

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部屋に戻って荷造りを点検して就寝。明朝は5時起きである。

今日の歩数は6,601歩、5,0km。

12日目:上野→根津神社→巣鴨(とげ抜き地蔵)→秋葉原

2024年5月30日(木)・晴れのち曇り/最高気温28度

昨夜はあまり良い睡眠が取れなかった。アンナと約束していたのは9時半だったのでそれまでの時間を持て余してしまった。最後の荷造りは明日にしようと思っていたが、どうせ時間があるからといちおう取りかかった。しかし、これはあまり意味がない。やはり最終日にガガッと片づけるのが一番。

今日は上野公園から東京藝大のキャンパスを観て、そこから歩いて「根津神社」に向かった。この頃の時間が一番暑いと感じた。「根津神社」の近くで「かき氷」の旗がぶら下がっているのをを見つけて何年ぶりかで食べることにした。わたしもアンナも「イチゴミルク」を注文。削られた氷も子供の頃の記憶よりは遙かに上品でそこが物足りないと言えば言える。しかしおいしかった。

根津神社ではツツジがまだ残っていないかなぁと期待していたのだが、すっかり終わってしまっていた。それでも丸く刈り込まれた緑の葉が美しい。人出も多くなくて楽しめた。

そこからバスに乗り上野・松坂屋の前で下車。13時を過ぎていてお腹が空いていたのでソバでも食べようかと思ったらアンナが「牛丼」を食べたいと言うのでわたしもそれに乗った。

そのあと山手線で巣鴨へ。アンナがインターネットで調べて、行ってみたいと言う。訪れる年寄りのためにバリアフリーの道路を作った街だというのに興味を持ったらしい。

行ってみるとそれは「とげ抜き地蔵」のあるところだった。わたしは10年ほど東京に住んでいたのにここには来たことがなかった。赤い下着を売っている店が目についた。この辺でわたしはかなり疲れている。

これも忘れていたのだが、今回の一時帰国ではエレコムの「超強力クリーナークロス」を買うつもりだった。それを思い出し秋葉原で下車し、ヨドバシカメラで購入。

そのあとわたしは疲れたのでホテルへ帰ることにしたがアンナは電気街でアニメのコスプレした人を見たいという。これも彼女の情報源から仕入れたらしい。わたしは1人でホテル着。

もうひとつ忘れていたことがあって、ドイツに帰る間際にいつもの「床屋」で髪を切ってもらおうと思っていた。アンナとの夕食の約束は19時半頃なのでそれまでには間に合うだろうと大井町駅近くの理容店へ。毎回感心するのだが、手際が良くて安くて早い。満足してホテルの部屋に戻ってきた。

夕食はお昼がご飯ものだったのでラーメンにする。そういえば今回の旅ではまだラーメンは食べてなかった。駅向こうの「永楽」で「チャーシュー麵」をそれぞれ、「野菜炒め」と「餃子」を頼んだ。なんだか今回はそんなにおいしいとは思わなかった。ちょっとコッテリしていたからかも。

今日の歩数は15,872歩・11,9km。

11日目:浅草寺、かっぱ橋道具街

2024年5月29日(水)・晴れ/最高気温27度

7時起床。

昨夜は3時ごろに眼が覚めてトイレに行ってからしばらく眠れなかった。いろいろな考え事が頭に浮かんでは消えていたが夜中の暗い空間で気になることを考えるのは良くないとあらためて思う。朝の光を浴びるとそれらのことが霧散していった。

9時半にアンナと待ち合わせをしたあと、わたしひとりで銀座へ。アンナも探しているお土産があるらしく、別れてお互いの買い物を片づける。いったんホテルに戻ってから今度は一緒にイトーヨーカドーへ。孫たちの弁当箱を購入した。

昼過ぎから「浅草」へと向かう。アンナは浅草寺そして仲見世を見てみたいと言う。浅草に着いた頃には太陽が真上に位置していてかなりの暑さだった。思っていたとおりに人出が半端ではなく多い。

浅草寺にお参りをしたあと徒歩で「かっぱ橋道具街」に向かった。かなり疲れたので喫茶店に入りコーヒーを飲む。そのあと道具街をザッと見て「かなやのヘアブラシ」を購入。16時半頃にホテルに戻る。

18時半に友人夫婦とホテルのロビーで待ち合わせして、夕食を共にする。先回は友人がコロナに掛かった直後だったから、用心して挨拶をしただけだった。21時半過ぎのお開き。

今日の歩数は13,486歩・10,3km。

10日目:雨と風の一日

2024年5月28日(火)・雨/最高気温27度

6時起床。

暑くて寝汗を搔き、夜中に目が覚めた。

7時ごろに下の FamilyMart でおにぎり二つとコーヒーを購入。その時に1万円札を渡して Suica に5000円チャージした。部屋に戻ってしばらくしておつりの5000円が手元に見当たらないことに気がついた。

9時半頃に FamilyMart に行って事情を説明すると店長が出て来て防犯カメラを設置してあるから調べてみます、ということだった。

11時過ぎに再び行ってみると防犯カメラにはレシートを受け取った映像が残っていてわたしが5000円紙幣を受け取ってはいないことが判明。そこでにこやかに5000円札を渡してくれた。これはちょっといい話。

アンナとは10時に落ち合って向かいのイトーヨーカドーへ孫たちに頼まれた弁当箱を買いに行く。去年買っていったものが壊れてしまったらしい。今回の孫たちへのお土産も弁当箱になる。

そのあと銀座へと向かった。ちょうど雨が止んだときで空気はいかにも蒸し暑い。有楽町駅で下車し、木村屋で買ったあんパン、抹茶パン、を囓りながら銀座をぶらぶらし始めた。デパートの食品売り場を見たいと言うので MATSUYA、 MITSUKOSHI の両店を見て回る。これでわたしは疲れてしまった。

そのあと Apple Store でiPad Airの新製品を見て外へ出ると雨が降ってきたので、向かいのおもちゃ博物館に避難する。ここでもアンナに付き合っていちおう店内を見て回る。

そのあと有楽町駅の「吉野家」で今回の旅で初めての牛丼を食べる。やはりおいしい! 疲れてホテルに戻ってきたのは15時頃だった。アンナはひと休みしてまた買い物に出掛けたらしい。わたしは一時間ほどグッスリと眠った。

眼が覚めてから駅の Atré に行きユニクロで自分のポロシャツ3枚を購入。

アンナは20時15分くらいに戻ってきた。外は強風と雨という最悪のお天気なのでこのホテルの二階にある「大戸屋」で夕食をとった。わたしは「豚の生姜焼き定食」にトロロをトッピング、

アンナは「チキンカツ定食」に納豆をトッピングしたものを注文。

わたしは生ビールの中ジョッキを頼んで、そのお値段は何と¥2670(約15€)というから驚きの安さだ。はたしてこれで儲けが出るのだろうか。

そのあとシャワーを浴びて就寝は22時30分を過ぎた。

今日の歩数は13,382歩・10.2km。

9日目:京都→東京

2024年5月27日(月)・小雨ときどき曇り/最高気温25度

7時起床。

朝から小雨が降っている。朝食の前に荷造りを済ませた。ほとんどのお土産を手渡したあとなので大きい RIMOWA の中に小型のバッグが入れ子のように収まり荷物がひとつ減った。

M 氏の車で野洲駅まで送って貰い名残惜しかったけれど別れを告げる。今回は本当にお世話になってしまった。

京都駅に着いてすぐに駅のコインロッカーに大きなスーツケースを入れて「二条城」へと向かう。アンナはデパートを見て回りたかったらしいけれど京都でデパート巡りをすることもないだろう。小雨の中の「二条城」もまた彼女の心に残るものになると期待する。下の写真は「二条城」の内部を見学したあとで観た庭園。

京都駅の地下街で「暖かいソバと小カツ丼」のセットメニューを昼食に食べる。アンナは「冷たいソバと天ぷら」。15時08分の「ひかり512号」で東京へ向かった。

新幹線はせっかく左側に座席を取ったのだが、残念ながら雲に隠れて富士山は見えなかった。18時ごろにホテル着。

今夕は京都旅行中に溜まった洗濯物をアンナがホテルにある洗濯機で洗ってくれた。夕食はそれほど食欲がなかったのでホテルの下にある食品店で「お寿司」を買ってきて二人で室内で食べた。洗い上がった洗濯物を乾燥機に入れるので食事は中断されたけれど、これも旅の途中らしくてなかなか良いものである。23時前の就寝。

今日の歩数は10,401歩、7.9km。

8日目:膝が笑った

2024年5月26日(日)・晴れのち曇り/最高気温25度

7時起床。

今日も清々しい良いお天気。7時に目覚めて朝食をいただいてからさて、今日は何処を観光しようかと考える。昨日行こうと思って断念した「長命寺」に行くことにする。M 氏がここから車で30分ほどだから送っていってあげると言う。そのお言葉に甘えた。

「長命寺」は山の高いところにあって808段の石段を登らなくてはならない。昨日の疲れがまだ足に残っている感じだったので、山の途中まで車に乗せて貰った。そこから200段ほど登ってようやくお寺に着く。

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高所だからかさすがに観光客は少なくてとても静かな良い時間をじっくりと楽しむことができた。さて、そろそろ下山しようとして

1.車で上ってきた道を徒歩で降りるか
2. 808段の石段を下りるか。

どちらを選ぶかちょっと迷ったがこの際だからと 2.を選んだ。

しかし、この石段が規則正しい石段ではなく、さまざま大きさの石を集めて敷いた階段だったから下り始めてしばらくしたときには「しまった!」と思ったが後の祭り。何度も休憩をとりながらやっとの事で下山できたときには文字通り「膝が笑った」。寺が用意してくれていた杖を使ったのが正解でこれが無くてはきっと途中で立ち往生してしまったに違いない。

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ちょうどお腹が空いたのでその近くにあった温泉+レストランに入り「天ざる定食」を食べる。お風呂に入るのは嫌だと言うアンナを待たせてわたしは食事のあと一人で温泉に浸かった。ドイツにいるときには近場の山に遊んだときにいつも「下山したときに温泉があったなら!」と思っていたので本当に幸せ!

M 氏が車で送ってくれたときに「水郷巡りの船も面白いですよ」と教えてくれたのでそれを探して観る。

近いところにその船着き場を見つけて15時からの船に乗ることに決めた。客はわたしとアンナだけ。少し曇ってきていたが葦が茂る中の水道をゆったりと走って行く和船は楽しかった。

アンナもとても気に入った様子。

それが済んでからバスに乗り「近江八幡駅」に向かう予定だったが水郷巡りの船頭さんが車で「近江八幡駅」まで送ってくれた。本当に親切!

18時から M 氏とその息子さんと待ち合わせて草津の「梅の花」という「ゆば料理」で名の知れたレストランで豪華な夕食をいただく。帰宅は20時過ぎ。

それからしばらく M 氏と焼酎を飲み交わしながら話をして21時過ぎにお開き。

今日の歩数は7,654歩、5.7km。

7日目:彦根城、京都駅、座禅

2024年5月25日(土)・快晴/最高気温26度

7時起床。

昨夜は思いのほかよく眠れて気持ちの良い朝を迎えた。

今日はどこを観光するかでアンナと相談する。わたしは「二条城」をと考えていたのだが、彼女は昨日の伏見稲荷の人出の多さに閉口していたらしく観光客があまり行かないところを観たいと言う。京都市内ではそれはなかなか難しい。

そこで思い出したのが「彦根城」。わたしも1度観光していたいと思っていた場所で、京都市内からは離れていてほとんど米原に近い。そこに行ってみることにする。そしてそれは正解だった。

お天気も爽やかで昨日ほど暑くは無く観光客も多くはなかったけれど、少なくはなかった。結局、天守閣まで登ったのだが、一番楽しめたのは庭園だった。今の時期の新緑の美しさと言ったらため息が出るほどで、それを何度も口に出すものだからアンナから笑われた。庭園の中で抹茶をいただいたのも楽しかった。ちょうど疲れていたときだったので抹茶に付いてきた小さな菓子がとても染みた。下の写真は天守閣から見下ろした庭園。

ただ、天守閣までの階段が意識してわざと異なる段差に作られていたのはけっこう、膝に応えた。

13時過ぎに帰りの列車に乗り次は近江八幡にほど近い「長命寺」に行く予定だった。しかし「長命寺」は八百段の階段を昇らなくてはならないということで、膝が心配になり中止とした。

そのまま京都駅まで乗り、これもアンナが観たいと言っていた京都駅構内の最上階へと行くことにした。そこからの展望を楽しみたかったらしい。土曜日とあって折りから「京都市内の高校生ブラスバンド」による演奏が行われていてほぼ満員の聴衆だった。とっても楽しい雰囲気を楽しんだ。

16時から銀閣寺近くのうどん屋さん「おめん」という店で M 氏と夕食を約束していたのでそこへ向かう。

バスで「銀閣寺道」まで乗りそこから「哲学の道」を歩いて「おめん」に向かう。いかにも京都らしい店で大いに楽しめた。

そして今日の締めはこれも M 氏が計画しておいてくれた南禅寺系列の「光雲寺」での「体験座禅」。20時からと遅い時間だったけれどとっても興味深いものだった。

帰宅は22時を過ぎていたが M 氏と一杯やってから就寝。

今日の歩数は20,750歩、15.8km。

6日目:京都観光

2024年5月24日(金)・晴/最高気温30度

6時起床。

京都観光の第一日目である。アンナの都合で京都駅に9時15分に着かなくてはならなかったために早起きとなった。1人ならサッサと用意を調えて出掛ければ良いのだが、2人だとシャワーや身支度に倍の時間が掛かるから仕方がない。

この家にも BALMUDA があったので念願のおいしい部厚い日本のトーストを食べることが出来た。外側がカリッとして中はムチッとした舌触り。

8時40分に家を出て徒歩で野洲駅に向かう。10分ほどの距離だった。

京都駅でアンナの知り合いの親子3人と落ち合い、そこから今日はわたしひとりの時間となった。さて、何処へ行こうかと考えたところまだ「宇治の平等院」を見ていないことを思いだした。数年前に鳳凰堂の前まで行ったのだが修復中で何も観ることができなかったのである。それを今日は取り返すことができた。11時頃から気温が上がり始め観終わったときにはかなり汗を掻いた。

そこから宇治川に沿って少し歩き「宇治上神社」まで見て帰路につく。

途中で名物らしい「宇治だんご」を2串たべる。ほんのりとした甘さに好感を持つ。

電車に乗る前に昼食として「抹茶そば」を食べた。これはそれほどでもないかな。

午後3時過ぎにアンナとその有人家族に会い、そこで彼女たちと別れる。まだ4時前だったのでもう一つどこかのお寺を見ていこうということになり、ちょうどバス停に来た清水寺行きに跳び乗った。

想像していたとおり、清水寺はすごい人出。

初詣のような感じだったし、行きはダラダラ坂を登るのでここでも汗を掻いた。でもアンナのためには行っておいて良かったと思う。

夕食は野洲の駅に着いてから「餃子の王将」で食べる。お腹も空いていたのでおいしかった。20時前に帰宅。それから焼酎を2杯いただいたあと、彼のオーディオ装置でジャズをLPで聴かせて貰う。いい音で鳴っていた。22時過ぎのお開き。

今日の歩数は18,580歩、14,0km。

5日目:いわき→品川→野洲

2024年5月23日(木)・晴れ/最高気温26度

7時起床。

いわき市のホテルでの目覚め。まあまあよく眠れたほうである。気分は悪くない。8時からの朝食に間に合うようにシャワーを浴び、準備を整える。

ホテル東横インいわきの朝食は和食のバイキングで小規模ながら心が行き届いていた。アンナは朝食にカレーライスがあるのに驚いていた。わたしは日本に着いてから食べ過ぎの感があるので控え目にしようと思ったが、終わってみるとご飯は2杯食べているしいつもの通りとなった。

10時17分発の「日立10号」に乗り東京を目指す。車中でわたしは眠ったようだ。品川で新幹線に乗り換える。

車窓から運良く富士山が見えて、アンナは大喜び。

今夜から4泊お世話になる方の住む「野洲」へと向かう。13時40分発・新幹線「ひかり645号」で米原で乗り換え、16時46分に野洲駅に到着。M 氏が迎えに来てくれていた。

彼が用意してくれた心づくしの夕食を一緒に取り、7時半頃に帰宅した彼の息子 K 君もまじえたひとときを過ごす。
22時のお開き。

今日の歩数は4,776歩、3,6km。

4日目:いわきー墓参り

2024年5月22日(水)・晴れ/最高気温21度

6時起床。

昨夜は再び3時半頃に目覚めたあと寝付けなかった。6時に起きて大浴場へと向かう。この時間だと他の泊まり客もまだ入っていなくてわたしの独占状態。朝日が水平線に輝いていて左手奥には塩屋埼灯台が見える。贅沢な時間。

8時から大食堂にてまた9人が揃い朝食。これも食べきれないほどの種類のおかずが並ぶ。わたしは昨夜飽食していたから余り食欲がない。それでもほとんど平らげた。残したのは温泉卵だけ。この調子で行くとミュンヘンに戻るときには体重が何㎏になっていることやら。

10時にチェックアウトして墓参りに向かう。9人は車2台に分乗。お墓に着いた頃にはお昼近くで陽の光がけっこう強い。しかし風もかなり吹いていたからそれほどの暑さは感じなかった。

お墓参りから戻る途中で昼食にとイタリアレストランに入る。わたしとアンナはコーヒーだけで済ませたが、他の家族たちはまたまた旺盛な食欲。特にわたしよりも7歳上の姉は細身の身体なのにすごい食欲で驚いた。

いったん兄宅に戻り、そこでお茶を飲んだあとお開きとなる。今度来れるときまで兄が元気でいてくれることを願った。15時に駅からほど近いホテル「東横インいわき」にチェックイン。

アンナがホテルの洗濯施設で作業をしている間わたしはベッドに入って気持ちの良い午寝。やはり昼寝が習慣になっているので昼寝なしの午後は辛い。

18時ごろに駅近くまで歩いて「海宝」という店に入る。

そこで「イカ刺し」「牡蠣フライ」そして「特上寿司」を注文。前者の二皿はそれほど量は多くなかったが新鮮でおいしい。寿司はやっと本物の寿司が食べられたという思い。

ブラブラと徒歩でホテルに戻り21時過ぎの就寝。今夜はよく眠れると良いのだが。

今日の歩数は3,732歩、2,8km。

3日目:東京→いわき

2024年5月21日(火)・晴れ/最高気温27度(いわき)

7時起床。

昨夜はよく眠れた。これで時差ボケが解消されると良いのだが。

いわきに向かう列車の中でのお弁当が楽しみなので朝食はおにぎり一個とコーヒーだけに留めた。昨夜の街中華でタップリと食べたからお腹が空いていない。

10時45分発の「日立9号」に乗り13時15分にいわき到着。利光兄の娘、順子ちゃんが改札口に迎えに来てくれていた。「みどりの窓口」で明後日の指定券を購入する。そのあと大船から来るという姉の由紀子を待ち、兄の長女・紀子ちゃんが運転する車で兄宅へ向かう。

1年ぶりに会う94歳になる兄はずいぶん痩せていた。それでも健康に問題は無いらしいが、2人の娘たちの話ではかなり認知症が進んでいるという。わたしにはそれほどとは思えなかったが久しぶりに会うわたしに気を使って兄の気分は高揚しているのかも知れない。

15時に予約してくれていた海沿いのホテルへ向かう。そこにはすでに姉の靖子と姪の美代子が先着していた。各自の部屋に入ってひと休みしてから大浴場へ。そこでは兄と息子の直人がすでに入浴していて、わたしもそれに加わった。ホテルの部屋からは「塩屋崎灯台」も見えた。

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夕食は18時から総勢9人で食卓を囲む。盛り沢山のメニューで食べきれるかどうか不安だったが、わたしは全てをおいしく平らげた。

従業員の仕事が20時で打ちきりというわけで、食事後は兄と息子の泊まる部屋に皆で押しかけ、おしゃべりが始まる。わたしの姉2人が調子よく快調におしゃべりを始めて23時にお開きとなる。最後の30分ほどわたしはまぶたが下りてくるのと戦っていた。

今日の歩数は5,123歩、3,9km。

2日目:時差ボケ真っ最中

2024年5月20日(月)・小雨のち曇り/最高気温22度

時差ボケで午前3時に眼が覚めてから眠れなかった。もしかすると途中でウツラウツラしたかも知れない。

朝食は午前6時ごろにこのホテルの下にあるコンビニでホットコーヒーとおにぎりを二つ買って部屋で食べる。

9時半にアンナと一緒にホテルを出てまずは明日の特急の座席指定券を取得する。昨年来たときにもそうだったのだが、JR は「みどりの窓口」の数をどんどん減らしている。大井町の「みどりの窓口」も昨年にはもう無くなっていた。これからは全て自動販売機で自分でやらなくてはならず、これがちと面倒。アンナと一緒にやってなんとかクリアーした。

その時間にはまだ小雨が降っていて、アンナも新宿に行くか銀座に行くか迷っていた。彼女もわたしも今回の旅の間に JINS で眼鏡を作りたかったから予定を変更して秋葉原のヨドバシカメラ内にある JINS へ行きそれぞれ眼鏡を新調する。

このころからわたしの頭のなかは眠気で朦朧とし始めた。そこでアンナとわたしはいったんホテルに戻り、それから彼女はひとりで東京見物に出掛けた。かなり緊張して出ていったのでわたしも気が気ではなかった。どうやら「渋谷」に向かったらしい。

わたしは一時間ほど眠ったら楽になった。14時過ぎから「お風呂の王様」に行きゆったりと湯に浸かって身体をほぐす。

アンナは18時ごろに帰ってきて経験したことをいろいろと話していた。これで少しひとりで出歩く意欲が湧いてくれるとわたしも楽なのだけれど。

夕食は予定していた街中華へ。驚いたことに外には10人ほどの人たちが並んでいる。そんな店だったかなぁと不思議だったが、周りの人の話では最近マスコミで扱われたらしい。それで納得したけれど味のほうは調理人がいつものご老人ではなく若い人に変わっていたせいかあまり感心しなかった。それでも満腹でホテルに戻る。

今日の最後は洗濯をしたいというアンナにホテル備え付け洗濯機の操作法などを付き合う。

今日の歩数は7,286歩、5.5km。

1日目:ミュンヘンーヘルシンキー東京

2024年5月18日(土)・晴れ/最高気温

6時起床。

6時にタイマーをセットしておいたが、5時過ぎに足が吊って眼が覚めてしまった。まあ、飛行機の中で眠るから寝不足は良いのだが。

ミアと3人で朝食をとり8時14分の Tram で出発。ミアとブリギッテが Tram の駅まで見送ってくれた。途中でアンナと合流し一路ミュンヘン空港へ。なんでも過激な環境保護団体の数人が空港でデモをしたというニュースが流れて、困ったなと思ったけれどその時はその時。

結局何事もなく時間通りにミュンヘン空港に到着。世間は今日から2週間の Pfingsten 休暇に入るということで子供を連れた家族連れが多く大変な混雑ぶり。

ヘルシンキまでの2時間余りはプライムエコノミーの席が割り当てられてちょっと得した気分。しかしそれはわたしだけでアンナは普通のエコノミーに割り振られた。

ヘルシンキに着いてミュンヘンとは1時間の時差があるのに気がつく.乗り換えのゲートに着くまでけっこう歩かされたけれど1時間前に待合室49に到着。Helsinki から München までは JAL の運行に変わった。Finnair も Lufthansa に較べたらサービス面ではまだ正常だと思うけれど、JAL に乗り換えてみるとその差は歴然となる。食事などにも差はあるのだが、乗っていて安心していられることが大きい。これは決してわたしが日本人だからというわけではない。キャビン・アテンダントの質の相違だろう。
下の写真は JAL に替わってからの機内食。

定刻通りに日本時間5月19日・13時25分に羽田着。そこから Japan Rail Pass の手続き、そして Holafly の eSIM をアクティベートしたあとATM で幾ばくかの日本円を引き出してからリムジンバスに乗る。この頃から空模様が怪しくなってくる。

ホテルはいつもの大井町のアワーズイン阪急にチェックイン。

ひと休みしてからアンナにホテルの近所を案内したあといつものコース。立ち飲み屋で前菜を食べたあと締めはもちろんトンカツの「丸八」。大いに満足して長かった1日が終わる。

今日の歩数は7621歩、5.6km。

荷造りは面倒

2024年5月17日(金)・曇りときどき小雨/最高気温17度

7時半起床。

今日は文字通り一歩も家から出なかった。

明日から旅に出るので、その準備で一日が過ぎていった。こういうことがだんだん億劫に、面倒に感じる。老いたかな。午後になってようやく荷造りも終わる。

今夜はミアが泊まりに来たので夕食を一緒に食べる。明日は早起きをしなくてはならないので今日は早寝だ。

エアポケットのような一日

2024年5月16日(木)・曇りときどき晴れ/最高気温22度

7時半起床。

ブリギッテは10時過ぎに家を出て街中へ。わたしはその間にこまごまとしたことを片づける。
13時ごろから昼寝。

14時過ぎに家を出て街中へ出掛ける。友人と待ち合わせて軽く夕食をとり17時ごろに別れて帰宅。夕方からまたアンナが来訪。今日は特に書くこともない。まあ、そんな日があっても良いか。

雨上がりの散歩が気持ち良かった

2024年5月15日(水)・晴れ一時雨/最高気温23度

7時半起床。

朝食のあとブリギッテは Staatsbibliothek へ。何か調べ物の件で予約を入れていたようだ。

わたしは彼女が居ない間にゆっくりと各部屋に掃除機をかけ、食卓の椅子の脚に滑りやすいように、そして床を傷つけないようにとフェルトを貼る。ブリギッテは昼食を食べてくると言っていたので、わたしは冷凍庫の中の餅を焼いて食べた。

そのあと昼寝。

午後4時近くにブリギッテが買ってきた菓子パンでお茶にしたので、夕食は抜く。

夕方6時近くになってから森への散歩に出掛ける。今日はゆっくりと1時間歩いて帰宅。8000歩を超えた。

今日も素晴らしい五月の一日

2024年5月14日(火)・快晴/最高気温24度

7時半起床。

雲ひとつ無い快晴、というのは今日のことだろう。おまけに強すぎず弱すぎずの快い風が吹く一日だった。

そんな日なのにわたしは目覚めてからずっと軽いめまいを感じていて気分がすぐれなかった。逆らわずにいたのだが、朝食のあとでも一向に改善しないのでベッドに入り二度寝を試みる。1時間ほど眠ったあとようやくその不快感は過ぎ去った。

外を見ると木々の新緑は輝き、そよ風が吹き、まさに天国のよう。

午後2時過ぎになってブリギッテと一緒に残り物で昼食を取る。残り物がけっこうの量でそれをおいしく食べ終わったら、また眠気がさしてきた。逆らわずに今日二度目の昼寝。

眼が覚めても外界の快い雰囲気は変わらない。今日の日をこのまま終わるのはとても勿体ないと思えてきた。さいわいブリギッテが Frauenverein の集まりがあって16時に家を出るのに付き合い街中へ出掛けることにした。

Kaufhof でちょっとした買い物を済ませ、そのあと Marienplatz にある Café 「Glockenspiel」に入りビールを飲む。ここは地上4階なので対面の市庁舎が実によく見える。そこで気がついた。絵はがきの写真はここから撮影したものに違いないと。

休憩しながら写真を取り、そこを出て Kustermann へ。ここでもちょっとした買い物をして帰宅の途についた。帰宅したあとは「月桂冠」を冷やで飲む。今日も素晴らしい一日だった。

昨日の疲れ?

2024年5月13日(月)・晴れのち曇り/最高気温23度

7時半起床。

午後から少し雲が出て来た。

午前中は昨日の気持ちの良い気分が続いていて、少し精神的にハイになっていたような気がする。ブリギッテが朗読のボランティアに出掛けている間に懸案の事項に手をつけてそれを片づけた。

午後から街へ出たのだが、ちょっと空気が重く感じて1時間もしないうちに疲れを感じた。逆らわずに帰宅し、すぐに昼寝。

夕方、アンナが来訪して一緒に夕ご飯を食べる。昨日の疲れが出たのかもしれない。

バイエルンの5月は最高!

2024年5月12日(日)・快晴/最高気温22度

8時起床。

素晴らしい五月の気候を楽しめた一日だった。

カローラが以前団員だったアマチュア・オーケストラの古いメンバーが集まって小さな内輪だけの演奏会が今日ミュンヘン郊外の Agatharied という所で行われた。水曜日から合宿をして練習に励み、今日の15時からの演奏会だった。30代、40代のメンバーたちが集まりメンデルスゾーンとシューマンの曲を演奏した。まだ1歳から4歳ぐらいまでの子供たちの母親も多くて和やかな雰囲気。もちろんミアも水曜日からカローラに同行している。

われわれは10時に出発して11時前に到着。思ったより近かった。先日のオーロラの写真はここから写したものだそうだ。

12時までゲネプロだったようで、そのあと太陽の下での昼食。ビアガルテンのような雰囲気と料理で思いのほかおいしかった。満腹になったわたしは草原の上で気持ちの良い午睡。

15時から本番となった。ときおり乳幼児の声なども混じったけれどそれが演奏の一部のようで全く邪魔には感じなかった。やはり音楽は趣味でやった方が幸せだとまたまた感じる。

カローラは数年前にミュンヘンのアマチュア・オーケストラに所属してフルートを吹いていた。しかし、パティシェリの国家
資格を取りそれを職業として出発したのだが、膵臓の腫瘍が見つかりその除去手術を受けたためにパティシェリの仕事を断念しなくてはならなかった。パティシェりの期間は土曜日も仕事があったためにアマチュア・オーケストラの練習に参加することは出来なくなっていたのである。今は「食品衛生管理官」という仕事に就いたので再びオーケストラでフルートを吹きたいらしい。

夕方6時近くになり小さな子供を持った親たちはそれぞれに帰っていった。われわれも渋滞に遭わず40分ほどでミュンヘンに到着。そのままブリギッテ、カローラ、ミア、わたしの4人でビアガルテン Schinken Peter というお店で夕食を取る。今日は「母の日」でもあるからかお客で一杯だった。

帰宅したのは20時近く。充実した、健康的な、長い一日だった。

典型的な五月の美しい日

2024年5月11日(土)・晴れ/最高気温21度

7時半起床

ブリギッテは10時から近所に住む友人と Café で約束していたので出掛けて行った。今日は朝から素晴らしいお天気だったので古いスニーカーを洗うことにする。残り少なくなった「キッチンハイター」をぬるま湯に20分ほどつけた。思ったほど白くはならなかったけれどスッキリとしたのは確か。

昨夜カローラは昔在籍していたオーケストラの練習に参加するために Tegernsee に行っていたのだが、夜に素晴らしいオーロラが見れたらしくそれを写真に撮って送ってくれた。オーロラが見れるのはフィンランドとかノルウェーだとばかり思っていたらミュンヘンでも見ることができるとは!

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午後は何もせずにゆったりとしていたのだが、こんな天気の日に閉じこもっているのは勿体ないので15時過ぎに散歩に出掛けた。5月の緑の美しさは格別である。

薄らと汗を掻いて帰宅してからの Weißbier もまたおいしい!

18時ごろからサッカーのダイジェスト番組を見てブリギッテの作った夕食を食べて、良い1日だった。

もしかするとわが家からもオーロラが見れるかもしれないので今日は暗くなったら外に注意していようと思う。

ピアノとのお別れ

2024年5月10日(金)・晴れ/最高気温20度

7時起床。

今日はわたしが40年以上使っていたピアノとのお別れの日。現役を引退してからほとんど使うことのなかったピアノを3人の孫を持つ次女のユリア宅に譲ることにした。ユリア宅は最近新築した家でピアノを置く場所には困らない。孫たちがこれを使ってくれたら嬉しい。

8時に運搬する人が来るという話だったが運送の人2人が来たのは7時半。私は7時に起きてシャワーを浴び準備を整えておいたので慌てずに済んで良かった。

そのあとピアノが置かれていたところにポッカリと空いた空間を見ていてちょっとセンチメンタルな気分になった。

そのあとゆっくりと朝食をとる。

そのあとは午後まで Wise への入金手続きに四苦八苦してしまった。あらためてこういう事務的な仕事に私は向いていないということを確認する。

夕方からブリギッテは BIO のお店のアルバイトに出掛けた。私は先日から観始めた Netflix のドラマ「the Good Doctor」を観る。面白い。

20時過ぎにブリギッテが帰宅。それから夕食をとり21時過ぎからそれぞれの自由な時間。

レバノン料理、初体験

2024年5月9日(木)曇りのち晴れ/最高気温17度

7時半起床。昨夜の就寝が久し振りに0時を過ぎていたので今日は寝不足になるかなと思ったが、そうでもなかった。睡眠というのは奥深い。

ブリギッテはさすがに今日は遅い起床。朝食のあと Wise に入金しようと思って始めたがわたしの無知のせいでかなり手こずってしまった。こんなことも老化現象なのかな。

夕方18時半から旧同僚の U さん夫妻と食事会。初めてのレバノン料理店を訪れる。

そこは Münchner Freiheit にあるこじんまりとした、気さくな雰囲気の店。若い人たちや子供連れの客たちも多い。適度な大きさに切られたラム肉はちょうど良い塩加減でおいしかった。

デザートはグリースのようなものに蜂蜜がかけられたもの。

ブリギッテ、日帰りで Freiburug への旅

2024年5月8日(水)・小雨/最高気温11度

8時起床。

今朝はブリギッテが5時32分発の列車でフライブルク(Freiburg)に行くので、わたしが4時起きして彼女を Wettersteinplatz の駅まで送った。わたしはそのあと帰宅して二度寝を試みる。

ブリギッテの親戚の女性が先日急死して彼女の葬儀に参列するための旅だった。一晩泊まりで出掛けるという選択もあったのだが、ホテル代がけっこう高いということで日帰りの旅になった。

今日は一日中小雨の降り続ける鬱陶しいお天気だったが、午後から車で出掛ける。帰宅は18時過ぎ。

帰宅時の道路は何処も渋滞で、明日は祝日なのだということを実感した。

ブリギッテは23時ごろの帰宅。葬儀の様子をいろいろと話してくれた。

バイクの事故は怖い

2024年5月7日(火)・曇り/最高気温16度

7時起床。

目覚ましをかけておいて7時起床。9時から散髪の予約を入れていたのだ。26日が最初の予定だったけれど Sedlmayr の年次総会が急に入ってしまってキャンセルしていた。予約の振り替えが厳しかったらしく今日の9時という早い時間に差し替えて貰った。

今日は一日中曇り空。8時20分頃に家を出ると斜め向かいの信号機のところで交通事故があったらしい。どうやら乗用車2台とバイクがぶつかったようで、バイクに乗っていた人だと思うのだが路上に倒れていて上から金箔のシールが掛かっている。多分身体が冷えないようにという処置だと思う。(もしかするとそれ以上に深刻な状況だったのかも)

わたしが Tram に乗ろうとしていたときにちょうどパトカーがサイレンを鳴らして到着。そのあと救急車、消防車も来たようだった。ひどい事故でないと良いのだが。バイクの事故というのはちょっと接触しただけでも大ごとになる。

散髪は45分ほどで終了。途中で菓子パンを買って帰宅。

早起きと交通事故を眼にしたためか神経が疲れて12時前に早い昼寝をする。

夕方、トンカツソースと豆腐の買い置きが切れていたため Rosenheimerplatz のアジア食品店まで出掛ける。

帰宅してアップルイベントをちょっとだけ見る。今回は新しい iPad の発表だったらしい。わたしは余り iPad を使わないのでそれほどの興味は持てなかった。

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20時前に夕食を終わり、そのあと Tagesschau を見る。

井上尚弥選手のタイトルマッチ

2024年5月6日(月)・晴れのち雨/最高気温21度

8時起床。

朝食のあとブリギッテはボランティアの朗読へ。今日は仲間のひとりが急に来れなくなったらしくいつもより一時間ほど早く家を出ていった。

午前中にiPhoneをいじっていたら今まで見たことのない「お天気の重要情報」というのが現れた。何でも14時過ぎから雷を伴ったかなり激しい雨が降るので注意するように、ということだ。そういえばしばらく前から iOS のお天気アプリが大巾に改善されたと聞いたので、これか!と思った。

これまではアップルのお天気アプリは全く不正確で使いものにならず、有料のアプリ WeatherPro というのを使っていた。どうやらアップルが動いてお天気情報元をしっかりしたものに替えたので正確になったということらしい。ユーザーインターフェイスも変わってかなり使い易くなった。

しかし14時になってもお天気は良いままで、結局、雷雨が始まったのは夕方5時を過ぎてからだった。よいお湿りとなった。

18時過ぎにアンナが来訪。一緒にわたしが作った簡単な夕食を食べる。

今日は日本の後楽園球場でボクシングのタイトルマッチ「井上尚弥 ー ルイス・ネリ」があったので午後から気になっていた。わたしはボクシングは時に芸術だと思うときがあるので大好きである。前評判ではかなりパンチ力のある挑戦者だと聞いていたのでどうなるかと興味津々。

なんと第1ラウンドで井上尚弥がダウンしたのには驚いた。しかし、そのあと第2ラウンド、第5ラウンドでダウンを奪い第6ラウンドで TKO 勝ちした。乱打戦でちょっと雑なところも見受けられたが井上尚弥選手が勝って良かった。

結婚記念日(43)

2024年5月5日(日)・晴れ/最高気温21度

8時45分起床。

6時前に眼が覚めてそれからまた眠った。そこからの眠りがかなり深く気持ちが良かった。おかげで今日は一日中疲れを感じずに昼寝もしなかった。いつもそんな睡眠が取れるといいのだが。

ところで今日は43回目の結婚記念日。ドイツは役所に届ける(日本流にいうと籍を入れる)結婚式と教会による結婚式を挙げるというのが普通だった。役所に届けるものはごくあっさりしたもので夫婦それぞれに証人を立てて簡単に済ませる。毎年のこの日のお互いの台詞は「あの日はすごい雨降りだった!」ということと「お互いによくここまで保ったね」というもの。

今日は日曜日なので外出もせずに、そのあとはゆったりとした一日だった。幸いお天気も良くて気持ちが良かった。

夕食は外食するのも面倒なのでブリギッテが昨日買ってきたラム肉を焼いて、それがおいしかった。

そのあとはそれぞれの部屋に引き取って好きなことをする。わたしは Netflix で配信されている the Good Doctor という医者ドラマを観始める。

墓の整備に付き合う

2024年5月4日(土)・晴れ/最高気温20度

7時半起床

天気予報は曇りの筈だったのだが嬉しい外れで一日中良いお天気だった。

ブリギッテは10時過ぎに外出。Frauenverein Jubiläumsfeier とか。ヨーロッパでも婦人の権利が認められたのはそんなに昔のことではない。ドイツもその中の一つである。

とても楽しい、有意義な会合だったらしく溌剌とした表情で帰ってきた。

わたしはデビッドカードの Wiser にチャージしたり、それに関する事項を読んだりする。それにも少し疲れたのでそれほど多くはなかったけれど洗濯物のアイロン掛けを始めた。

昼食は昨日購入してきた「札幌味噌ラーメン」を作って食べ、そのあとはお決まりの昼寝。

午後4時頃にブリギッテのお供をして Westfriedhof に墓参りに行く。ブリギッテが一昨日買ってきた花をお墓の前に植えるため。余り気の進まないことだけれど、外気を吸う意味でも良いだろうとおとなしく同乗する。

気持ちの良い墓地内の散歩もして、さあ帰宅と思っていたら食料品の買い物をしたいというので ALDI に立ち寄る。これに時間が掛かって帰宅したのは19時近く。最初から買い物を予定に入れていたのではないかと疑う。

夕食を簡単に済ませたころには外も暗くなり始めた。

もう金曜日!

2024年5月3日(金)・曇り/最高気温13度

7時半起床

今日は一日中曇り空。しかし夕方からパラパラとときおり小雨が降った。

ブリギッテは朝食のあと外出。昔交流があって今はベルリンに住んでいる友人がミュンヘンに来ているのでしばらくぶりに会っておしゃべりをするのだという。その前に片づける用事もあるというので早めに出ていった。

わたしは彼女の留守を利用して各部屋に掃除機をかける。この仕事は彼女が居ないほうが自分ペースで出来るのでわたしは好きである。すっかり掃除をして気分が良くなったところで、軽い昼食。日本からのお客が持ってきてくれたチューブ入りの明太子を使ってスパゲッティにまぶした。バターもしっかり使ったのでまろやかでピリッとした味が最高。

しっかり食べたら当然のごとく眠気がさしてきたので1時間の昼寝。

眼が覚めたら元気が出て街へ買い物に出る気になった。いつものミカドで買ったのは「栗原はるみのビーフシチュー」。

そこにはクリームシチューも並んでいたのでそれも買い求めてきた。近いうちに作ってみよう。

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家に帰る頃になって少し雨が降ってきたけれど、ほとんど濡れずに家まで辿り着いた。夕食はわたしが作ろうと思っていたのだが、ブリギッテがキシュを作るというので任せた。安定のおいしい味。

庭に植える花を買ってきた

2024年5月2日(木)・晴れときどき雨/最高気温23度

8時起床。

朝食のあとブリギッテは Seebauer へ。これからの季節に庭に植える花を買いに。帰宅したときには車のトランクに一杯の花々と庭土も買ってきた。庭土はかなり重くて家の中に運ぶのにフウフウ言ってしまった。腰を痛めないように細心の注意を払う。今年は大きな鉢に「竹」を植えたいと思って買って来て貰った。

しばらくぶりにやはりミュンヘンに住む日本人の友人から電話があった。お決まりの健康に関する話題から家族の話題までけっこう長い時間を話した。彼は高齢者糖尿病の疑いが出て薬を服用しているという。ブリギッテの母親も確かそんなようだったような・・・。わたしも気をつけなくては。

昼食は生野菜サラダと白アスパラガスを少々、そして Brezel で済ませる。そのあと昼寝を1時間。

眼が覚めて少ししてから、雨が止んで青空が見えたので散歩に出掛ける。6000歩ほど歩いて帰宅。そのあとの「たそがれビール」がうまい。わたしがビールを楽しんでいる間、ブリギッテはオンラインでの体操をしていた。毎週1度のペースでやっているようだ。 

夕食は3日ほど前に作って残っていたカレーを食べる。ブリギッテはカレーを食べると胸焼けがするので、ちょっと多めの量だったが1人で平らげた。ちょっと食べ過ぎ。

ひと月ぶりの「オレンジサロン」

2024年5月1日(水)・曇りのち晴れ/最高気温26度

8時起床。

今日は祝日である。朝食を室内で食べたあとテラスでしばらくMacをいじっていた。ようやく落ち着いてテラスに座っていられる気候になったのは嬉しい。暑くなく、寒くなくとても快適。

15時から「オレンジサロン」があったので14時過ぎに家を出る。今日は新加入の女性がいて9人の出席者。想像していた以上の出席者者だった。

Schwanthalerhöhe の通りは歩道に設えられたレストランのテーブルに座る人でけっこうな賑わい。わたしは知らなかったのだが、今夜は Europapokal の ドルトムント 対 パリ・サンジェルマン の試合があるのだった。

20時を過ぎる頃になるとテラスに座っていた若い人たちは店内に場所を移し、大画面で試合を観戦。ドルトムントが1-0で勝利したらしい。

わたしは22時過ぎの帰宅。

MURNAU へ日帰り

2024年4月30日(火)・晴れ/最高気温25度

8時起床。

今日も素晴らしいお天気。朝食の時にブリギッテがどこか近くの湖に行きたいと言う。先日、隣人がなんとかいう湖にいって凄く楽しかった、というのを聞いて自分も行きたくなったらしい。

湖というのは陳腐すぎて気に入らなかったが MURNAU にある Gabriele Münterの家が候補に挙がった。ここは彼女がカンディンスキーと一緒に住んでいた家。作曲家のシェーンベルクも客として滞在していた。わたしはまだ訪れたことがなかったので、ここなら行っても良いなぁと思った。

急に決まったのでムルナウに向かう列車を調べると11時半頃にミュンヘンの Hbf を出発する列車がある。ゆっくりと準備して家を出た。実は最近自分の体調に自信がなく昼寝なしで一日歩き回れるかどうか不安だった。

しかし今日は往きも帰りも電車の中でグッスリと眠ってしまった。終わってみれば一万歩以上歩いていて、それほどの疲れもない。ちょっと嬉しくなった。下の写真はGabriele Münterの家。

見学を終わって昼食を取った MURNAU の中心街から望むアルプス。まだ雪が残っている。

今夜は快い疲れできっとよく眠れるだろう。それにしても今日出会った人たちは老人たちが多く、一人歩きの女性が目立った。年寄りの男性ひとりで、というのは全くといっていいほど眼につかなかった。やはり女性は元気なのだ。

久し振りのカレー、そして室内楽

2024年4月29日(月)・晴れ/最高気温23度

7時半起床。
 
いつも通りにベッドから出たのだが、昨日は午前3時ぐらいから眼が覚めてしまって、そのあと Amazon-Audible で「鬼平犯科帳」なんて聴き始めたものだから明け方まで眠れなかった。完全に自己責任である。

ブリギッテが10時ごろに朗読のボランティアに出掛けたので、それからわたしは一時間ほど昼寝。これでボヤーッとした脳内は回復した。

今日はカレーが食べたいと思いブリギッテに頼んで帰り道に豚肉を買ってきて貰った。午後から作りだす。今日のカレーはいただき物で初めて食べるものだ。成城石井の製品らしい。

一昨日に今夜19時半からの室内楽の切符が回ってきたのでその前にカレーを食べて出掛ける。カレーの味は余り凝ったものでなくて素直においしかった。

プログラムは弦楽三重奏曲(ベートーベン作曲)でチェロ奏者が「石坂団十郎」というすごい名前。父親が日本人、母親がドイツ人ということだ。家を出る前に彼のことをインターネットで調べたりする。

あまり聴いたことがない曲だったが、演奏者それぞれの動作とか呼吸を合わせるタイミングなどをみているだけでも楽しい。会場はわが家からは車で5分の距離、そして気持ちの良い夕方の外気が休憩時にも終演後も幸せにしてくれた。22時過ぎの帰宅。

薄曇りの日曜日

2024年4月28日(日)・晴れのち曇り/最高気温24度

8時起床。

ここ数日は夜中の3時ごろに眼が覚めてからそのあとなかなか寝付けないでいる。これが老化ということなのだろうが、まあ昼寝をすれば良いかなと思って気にしないことにしている。

眼が覚めてiPhoneを見ると昔の同僚でわたしよりも半年ほど若かった男が亡くなった知らせを見た。いろいろな感慨が湧いてくる。

ブリギッテは10時からの催しに出掛けていった。ミュンヘン市内にある「歴史的建造物」を巡るというものらしい。

それが終わってから彼女が買ってきたケーキで昼食代わり。

わたしはそのあと一時間ほどの昼寝。眼が覚めてから45分ほどの散歩に出掛けた。

夕食はおそらく今年初めてテラスで食べた。それほど気温が暖かかったということだろう。冷凍してあった残り物の「ピーマンの肉詰め」と野菜サラダ。

21時過ぎまで明るい空を眺めながら白ワインを楽しんだ。ほろ酔い気分。

Auer Dult (Mai Dult) へ

2024年4月27日(土)・晴れ/最高気温21度

7時半起床。

ようやく暖かい日が帰ってきた。

今日はミュンヘン郊外にピクニックに出掛けようかとブリギッテは計画していたが、彼女が注文したチョコレートが届くのを待たなくてはならず、午前は過ぎていった。

その時間を利用して彼女は庭の芝刈りを始める。2年ほど前からこういう肉体労働は卒業させて貰っている。ただ、地下室に置いてある芝刈り機を庭に運ぶのはいまだにわたしの仕事だ。

ようやく届いたチョコレートはパッキングが悪かったのかその中の一つが壊れてしまっていた。お世話になった人へのお礼のプレゼントだったのでブリギッテはガックリ。

素晴らしいお天気だったので、彼女を元気づけるために Mai Dult (Auer Dult) に出掛けることにした。土曜日の午後だったのでかなりの人出。下の写真は Dult への途中で写した。青い空と白い雲の対比が嬉しい。

1時間ほどブラついただけで帰宅した。わたしは疲れてしまってそのあと昼寝。

夕食は先夜のラザーニャを温めて食べる。おいしかった。明日はどうやら今日よりも良いお天気になるようだ。