素晴らしかった夏も終わりか?

8月14日(金)・晴れのち曇り/最高気温31度

5時40分起床。今日も早起きしてしまったがすぐにウォーキングに出掛けることはせずにブリギッテと一緒に朝食を済ませたあと、7時頃に家を出た。6時出発というのは気持ちが良いのだけれど、疲れが次の日に残るような気がする。10239歩・88分を歩いて帰宅。

帰宅してからシャワーを浴びてその後メールチェックなどをするのはいつもの通り。明日はミュンヘンのようなカトリックの地区は祝日なので全ての店は閉まってしまう。そこで昨日買い残したものを補うためにバスで Rosenheimerplatz まで出た。

いつの間にか St.Martinsplatz で乗り換えることなしに Rosenheimerplatz まで行けるようになっていた。 Tram が復活するまではまだまだかかるのだが、これだけでも大助かり。

久しぶりに馴染みのケバブ屋さんで昼食をとる。その後 ALDI と中国食品店で食料品を買い求め帰宅。帰りのバスに揺られて胃の中の消化が始まったのと暑いのとで眠くなり帰宅後ベッドに潜り込む。

眼が覚めるとブリギッテから留守電が入っていて買い物をした野菜類が重いから迎えに来てくれと言う要望。夕方5時過ぎに迎えにいった。この頃から周囲が暗くなり風も出てきていかにも夕立が来そうな空模様。

結局パラパラと小雨が降っただけで夕立にはならなかったのだが、天気予報によれば明日から一週間ほどは雨模様の日が続くようだ。これで今年の夏が終わるのかもしれない。

迎えに来てくれたお礼にとブリギッテが夕食に生ガキを出してくれた。これも久しぶり。

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生ガキは「R」の付く月でないと食べてはいけないというのは知っているのだが、かまわず食べた。イタリアの白ワインと溶け合っておいしかった〜!

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食後にちょっと冷やっとする空気のテラスに座って暮れてゆく空をしばらく眺める。

今年の夏は本当に夏らしい夏だった。最高気温が30度以上の日が7月は14日、8月は今日まで連続して11日あったのだ。
 ミュンヘンにしてはとても珍しい夏。夏よ、ご苦労さん!

70年前に思いを馳せる

明日8月15日は日本の敗戦記念日。ドイツが降伏したのはそれよりも早い5月始めのことだった。70年前の出来事である。

もう何年もわが家の前を走る道路の向こうに拡がっている森をウォーキングしている。最初の数年間は気がつかなかったのだが、ブリギッテの叔父さんが森の真ん中を走っているアスファルト道路の向こう側に小高い丘があることを教えてくれた。そこは Perlacher Mugl(ペルラッハー・ムーグル)と呼ばれている。

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ミュンヘン市とその周辺はそのほとんどが平地であって東京のように坂の多い町ではない。だから自転車で走るのにはとても適した街。わたしのウォーキングコースでも丘と呼べるのはここだけ。

その叔父さんが説明してくれたところによるとこの丘は第二次世界大戦の時に、防空壕を掘ったときに出た土を盛ったものだそうだ。

意識してミュンヘン市内を見てみるとちょっとしたところに小高い丘があって現在は公園のようになっているところが何カ所かある。これらのほとんどが防空壕を作ったときに出た土を盛った場所らしい。

わたしの故郷である炭鉱町には「ズリ山」というのがあった。これは地中から掘り出した石炭を選鉱した後の土の山である。違うのは戦争という悲惨さから生み出されたものと経済の繁栄から生み出されたものという差だ。

ある天気の良い朝にわたしはこの Perlacher Mugl に登ってみた。戦争終結から70年経つと頂上までの道は緑に包まれて柔らかな自然そのものである。

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そして頂上に立つとそこには展望台があった。

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そこに立つと空気が澄んで視界が良ければ遙かにアルプスが見える筈である。

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おそらく現在ミュンヘンに住む多くの人は、この緑に包まれた丘を見て戦時のことに思いを馳せることは無いだろう。誰かに教えられてそれを知ったとしても「ああ、そうなんですか」で済んでしまうにちがいない。

わたし自身が敗戦の二年後に生まれたから戦争は体験していない。そんなわたしが偉そうに戦争の悲惨さを語る資格はない。幼児体験として憶えているのは周りの皆が貧しかったこと、でもどこか明るさと活気に満ちていたことだけ。

この丘を見てもその土の量の多さから観念的にその当時の恐怖と悲惨さを想像するしかない。

時間の流れというものはそういう事なのだ。もしかするとそれで良いのかもしれない。