義母が入院か

1月23日(月)・快晴/最高気温0度

6時15分起床。
昨夜からブリギッテがちょっと風邪気味なのが気に掛かる。日曜日の日本人新年会出席で誰かからうつされたか?定年退職を数日後に控えてちょっと気が緩んだのかも。

昼食には今年最初の Kebab を食べることに決めていたので朝食もいつもよりは控えめにとった。(^_^;) 11時過ぎに家を出て Rosenheimerplatz まで。

相変わらず Kebab はおいしい。満足してそこを出たあとアジア・ショップでモヤシ、うどん、山芋を購入して帰宅。大根も欲しかったのだが今日は無かった。

帰り道に Klapfen を購入して義母宅に立ち寄る。このところブリギッテの用意した昼食を食べないで(忘れてる?)済ませていることがあるので,わたしが温めて食べさせた。今日はトリ肉のスープ,と言うよりは野菜スープの中に鶏肉が入っているという感じ。これは普通にしっかりと食べたので一安心。エスプレッソを飲ませたあとにわたしは帰宅。義母の座るソファの横に Klapfen を乗せた皿を置いておいた。

3時を過ぎた頃にマッサージさんからの電話。今日は義母の出張マッサージの日なのでアパートの呼び鈴を押しているのだが応答が無いという。わたしも心配になって車で駆けつけた。わたしの鍵を使って玄関の戸を開けるといつもはソファに横になっているのに玄関脇の椅子に座って焦点の定まらない眼でボヤッとしている。

マッサージさんもおかしいと思ったのか「今日は何曜日?」とか「お昼ご飯は何を食べましたか?」とかの質問を投げかける。その答えが「日曜日」と「わからない」と返ってきてわたしも側にいてちょっと驚いた。とうとうこの時が来たか。

すぐに家庭医に電話するもつかまらず、救急車を呼ぶことにした。救急車はものの5分も経たずに来てくれてちょっと検査をしたあと病院に運ぶことになった。そこへ留守電を聞いた家庭医が現れて感情を害した様子で、病院に行くことはない!と救急員を追い返す。

家庭医は点滴を打ったりして、引き上げたが帰るときに夕方6時か6時半頃にもう一度様子を見に来ると言っていた。点滴後の義母はグッスリと眠り始める。わたしはそれから義母に付きそう。

6時過ぎに義母を着替えさせる介護士さんが来た。着替えさせようとすると寝ている間にオシッコが漏れたのかズボンが濡れている。オムツを替えなくてはならないのだが、介護士さん1人ではちょっと無理で、わたしも手伝ってなんとかオムツを交換しパジャマに着替えさせる。義父の時には割と平気だったのだが、義母は年老いたとは言え女性だからわたしにもどこか遠慮があってやりづらかった。

夕方に様子を見に来るといった家庭医は一向に来る気配がない。そんなところに仕事を終えたブリギッテが来る。彼女とは昼間から連絡をし合っていたので午後からの一部始終は了解済み。家庭医には携帯の留守電に連絡し、7時まで待ってみたのだが返信はなし。

それじゃ、ソファの上でなくちゃんとベッドに寝せようとしたのだが、義母は1人では歩けない状態。夜中にトイレに行こうとして倒れられては大変と,もう一度救急車を呼ぶ。今回もすぐに来てくれて簡単に診察したあと近くの病院に運んでいってくれた。

わたしとブリギッテ、それに仕事から戻った長女のアンナが救急病院の待合室で待っていたのだが21時を過ぎてもなんの報告もない。ブリギッテは風邪気味で明日も仕事があるし、アンナも明朝は早起きしなくてはならない。なんの制約もないのは年金生活者のわたしだけなので,2人には帰って貰いわたしが1人で待合室で待ち続けた。

23時近くなってわたしを見つけた係員が「まだ検査の最中で遅くなるから義母の病室番号とか症状などは明朝連絡します」というのでわたしも帰宅した。チーズとサラミで Weißbier を一本飲んだのでもう寝る。長い一日だった。