ミュンヘンへ

2025年3月3日(月)・晴れ/最高気温10度

8時起床。

セミダブルのベッドで3日目の朝を迎えた。やはり狭い! 夜中に寝返り打つときには隣に気を使うし、隣に寝ているブリギッテが寝返りを打つとわたしが目覚めてしまう。朝になり眼が覚めてベッドから出るときは腰痛を感じた。

今朝も朝食は近くのフランス風 Café で食べる。わが家の周りにもこんな気楽に行ける Café があったら良いのにと思う。

帰宅途中で花屋を探し、チューリップの花束を買って帰る。アパートの持ち主が今夜戻ってくるので、3日間お世話になったお礼に居間に花を飾っておいた。

13時36分発の ICE でミュンヘンへ。列車が発車する前に駅の構内で Fish & Chips を買ってホームのベンチで食べる。意外においしかった。

それでお腹が膨れたのか、発車してすぐにわたしは眠りについた。眠りの中で「あ、自分は口を開けて眠ってるな」という意識があった。今回も予約した席は静粛を要求されるところだったので、快適。

想像していたとおり、帰途も Erfurt の駅で20分強の立ち往生。アナウンスでは「故障」と云うことだったがもう慣れっこになってしまっている。結局、往路と同じように45分ほどの遅延で18時40分頃にミュンヘンに到着した。

夕食は簡単にスパゲッティに出来合いのソースを絡めて済ませた。

今回お世話になったアパートは本当に素晴らしかったのだが、シャワーだけはわが家の方が良い。就寝前にしっかりとシャワーを浴び、洗髪をしてようやくわが家に帰ってきた気がした。

ブリギッテの講演会は成功

2025年3月2日(日)・曇り一時晴れ/最高気温7度

7時起床。

9時半に今日の会場に到着していたいとブリギッテが言うので今朝はまた慌ただしかった。

今、借りているアパートはどの交通機関を使うにしても10〜15分ほど歩かなくてはならない。今朝は彼女の本が詰まった鞄を持ってだから大変である。車の付いた鞄なのだが、この辺の歩道は古い石畳の道なのでガタゴトと不愉快である。

まあ、なんとか目的地には着いたのだが、そこでわかったのはそんなに急いで来なくてもよかったという事。ブリギッテの早とちりだったようで、結局、日曜のミサに付き合うことになってしまった。

ミサの後は近くの小さな Museum にも付き合わなくてはならず、目的の講演会が始まったのは13時40分頃。

ブリギッテの講演はなかなか調子が良かった。彼女も人前で話すことにだんだん慣れてきている。ようやくすべてが終わってアパートに帰着したのは17時ごろ。2人ともかなり疲れていた。

これだけでは終わらず、18時からはベルリンで学んでいる姪と彼女のボーイフレンドを食事に招いていた。幸いにもこのアパートの近くのレストランに予約しておいたので、街中へ出掛けることがなくて助かった。

初めてのベルリン・フィル

2025年3月1日(土)

19時からベルリン・フィルの本拠地である Berliner Philharmonie で初めてのコンサートを聴いた。

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オンラインで入手したチケットは9列目のほぼ真ん中。とても良い席だった。チケット価格は 82€ 。

普段聴き慣れているバイエルン放送交響楽団とはまた違った感じで、文句のつけようがないまとまりの良さと多彩な響き。一糸の乱れもない。

ピアノ協奏曲は熱演。響きも豊満でとても楽しめた。数えてみたらオーケストラの中にはアジア人の女性が7名、男性が4名ほどいた。そしてコンサートマスターは日本人。これも時代の流れだろう。

明日の下見とベルリン・フィルのコンサート

2025年3月1日(土)・曇りのち晴れ/最高気温8度

8時起床。

朝食はこの近くの Café でとった。そのあとブリギッテは明日の講演に備えて草稿を推敲している。わたしは昨夜余り眠れなかったのでボンヤリとしていた。

12時にミュンヘンの知り合いで今ベルリンに住んでいる Katharina 嬢と待ち合わせて、明日の講演をする教会の下見に行く。ここからは何度か乗り換えていかなくてはならず、 Katharina 嬢の助けがなかったらかなり手間取ったことだろう。

下見を終わって16時ごろに戻ってきたときにはわたしもブリギッテもかなり疲れていた。わたしは一時間ほどソファの上に横になって身体を休ませる。眠れはしなかったけれど目を瞑っていただけでずいぶん楽になった。

18時前に家を出て Potsdamer Platz 近くにある Berliner Philharmonie へ。ミュンヘンから今夜のコンサート切符をオンラインで取得しておいた。

今滞在しているところからは50分ほどかかる距離だが、これがあるから日中の疲れも気にならなかった。Berliner Philharmonie の建物は写真で見ただけだし、オーケストラを聴くのははじめて。大いに楽しめた。

今日の歩数は 18,804 歩。さすがに疲れた。

ベルリンへ

2025年2月28日(金)・曇りのち雨/最高気温8度

7時半起床。

午前中はちょっと慌ただしい時間だった。今日は11時46分発の列車でベルリンへ行くことになっていた。

昨夜泊まったミアに朝食を食べさせ、幼稚園まで送っていかなくてはならなかった。幼稚園まで送っていくのはブリギッテがやったけれど彼女はいつもと全く変わらずに淡々と行動している。内心、気が気でないのはわたしだった。

ここ数年わたしがせっかちになっているのは自覚している。ちょっと考えれば、今朝なども別に慌てることはなくいつも通りに行動していればどうということは無いのだが、わたしの心の中はなにやらせわしない。

ゆったりと11時ごろに家を出てミュンヘン中央駅へと向かう。予約してあった座席に着いてからも充分な時間的な余裕があった。ずいぶん前に予約しておいたので一等車でもかなり安い乗車券が手に入った。それも Ruhebereich (静粛な空間)だったので快適だった。

しかし、最近の DB は一筋縄ではいかない。ミュンヘンーニュルンベルク 間で列車が突然停車してしまった。アナウンスによるとパンタグラフの故障で列車に通電できない、と言うのだ。「そんなことがあるのか?」と一瞬笑ってしまったが、最近のドイツ・バーンだったらありかも、と思い直した。結局、ベルリンに到着したのは予定よりも約50分遅れ。

到着してみるとあいにくベルリンは小雨が降っている。その中を目的地まで Tram で向かった。今回のベルリンでの宿泊はホテルではなく、ミュンヘンの古い友人のアパート。持ち主がちょうどインドに旅行中ということで、使わせて貰うことになった。

そのアパートに着いて見ると、これが立派なもので各部屋も広々としていて素晴らしい。アパートの周りにはレストランなども豊富で夕食はその中から選んでおいしく食べた。まだ着いたばかりだけれど、ミュンヘンとはかなりの違いを感じる。簡単に言ってしまえばミュンヘンはやはり良い意味で「村」だと思う。

帰宅、ミュンヘンは寒い!

2024年11月12日(火)・快晴/最高気温15度

6時起床。

8時にミュンヘンに向けて出発する予定だったので早起き。実はそんなに早く起きる必要もなかったのだが、年齢のせいかバタバタと行動することが出来なくなっている。

帰宅の準備とは言ってもそれほどのことはないのであっという間に終わってしまった。

ここの主人夫婦にお別れの挨拶をして気持ちの良い朝の空気の中を一路ミュンヘンへ。往路は途中で一泊したけれど、今日の帰路は一気にミュンヘンまで走ることにした。ブリギッテが運転。

しかし、途中で彼女も疲れた様子だったので、運転を交代。わたしが一時間ほど運転している間、彼女はグッスリと眠っていた。元気を取り戻した彼女にまた運転を代わって貰う。

自宅へ着く前に Unterhaching に立ち寄り、ガソリンを満タンにし、トスカーナのホコリにまみれた車を洗車。そのあと EDEKA で夕食用にと「寿司弁当」を買う。

帰宅してすぐ荷解きをして落ち着いたあと「寿司もどき」を食べたが予想通りにおいしくなかった。ご飯が軟らかすぎてわたしには全く頂けない代物。

今回トスカーナの一週間は素晴らしい快晴に恵まれて幸せだった。如何せんミュンヘンからはかなり遠いので今回が最後になるかも知れない。

トスカーナで食べたもの

2024年11月12日(火)

今回のトスカーナもおいしいものをたくさん食べることが出来た。

一緒に招かれていた初対面のお客と同席したときには、さすがに写真を撮るようなことはしなかった。しかし、それが許される雰囲気のレストランで食事をしたときにはは写した。だから、これらがトスカーナで食べた料理の全てではない。

料理が出て来たときには「こんなに食べきれるかなぁ?」と思ったが、最後はきれいに片づけていて、そのうち2回は食べきれずに残そうとした人のお皿まで平らげていた。かと言って、お腹が苦しくなることはなかったのが不思議だ。

そしてデザートの時、他の人は甘いものを頼んでいたがわたしはほぼ毎回 Grappa で締めていた。飽食の割に胃腸の調子が良かったのはその成果も知れない。今回もお酒は地産地処が一番おいしいと思った。

今回のトスカーナ最後の日

2024年11月11日(月)・快晴/最高気温16度

8時起床。

朝食の時間を9時半に約束していたのでゆっくりの起床。

いつも通りの朝食のあと、ブリギッテと Siena の大きなスーパーマーケット COOP に行くつもりにしていたが、ここの奥さんも行きたいと言うので、わたしは残ることにした。買い物は女性2人のほうがなにかと楽しいのでは無いかという配慮である。😅
わたしとしてもその方がありがたい。

ここの主人がそれでは12時からまた散策に出ようというのでそれに付き合うこととする。今日も良いお天気でそれからの1時間半の歩きは楽しかった。斜面を登るのはわたしの方が速いのだが、坂道を降りるのは彼の方がずっと速い。膝に影響が無いのかなと彼のスピードに心配になる。

14時から電気技師がきてどこかを直すということになっていたらしく、ブリギッテたちは14時きっかりに帰宅。

15時半頃からテラスで「ツナサラダ」の簡単な食事を取る。16時が近づく頃には太陽も西に傾いて寒いと感じた。われわれは明日ミュンヘンに戻るのだが、今回の7日間は快晴が続いて幸運だった。

19時に夕食を取りに一昨日訪れたレストラン C HIANTI SOUL KITSCHEN のある Castelnuovo Berardenga へ向かう。RISTORANTE ANTONIMAX | CASTELNUOVO BERARDENGA

今日もおいしく、満腹、ほどよい酔いで22時のお開き。帰宅は22時15分。これから荷造りをして明朝は出来るだけ早くここを出発する予定。

今日は四人で散歩

2024年11月10日(日)・快晴/最高気温18度

8時起床。

今日は日曜日ということでいつもの朝食時間より遅い、と言うよりはブランチといっても良い時間である10時半頃から朝食を始めた。そろそろ四人全員が疲れている頃である。

食事の片付けを済ませて一時間ほどあとに、この近くにあるという公園に行くことになった。公園と言っても誰でも入れるわけではなく、ここの広い場所に関係のある人しか入れず、普段は鍵が掛かっていることを知った。

ところが、その前まで行ってリモコンで鍵を開けようとしたがウンともスンともない。きっとリモコンの電池が切れているのだろう。諦めてその近場の道を四人で散歩することにした。

どこまでも続いていそうな糸杉の並木、そしてその両側には収穫をすでに終わったワイン畑が拡がっている。

2時間ほど歩いて帰宅、太陽の光が一杯のテラスで遅い昼食を取る。そのあとは19時まで自室で過ごし、車で夕食に出掛ける。

食べたのは車で30分ほど走った小さな街にある気さくなレストラン。Alla Corte di BACCO という Osteria。

今夜も大いに食べ、飲んで満足。帰宅は22時30分頃。

フィレンツェ・ブラブラ歩き

2024年11月9日(土)・快晴/最高気温19度

7時半起床。

今日はフィレンツェ行き。朝食は紅茶とトーストを1枚食べただけで9時半出発。今日はわれわれの車トヨタ RAV4 でブリギッテの運転。フィレンツェまでの走行時間は約1時間半。これならばそう疲れることもないだろう。

Ponte Vecchio の近くの有人駐車場に入れて、これで車の盗難の危険はない。そのあとは主人夫妻の案内で有名店街、ウフィツィ広場、ドーム などをブラブラと見て廻る。わたしもブリギッテもフィレンツェは何度も来ているので観光名所や美術館、教会の中などには余り興味がなかった。現在、街を歩いている人たちの動き、ファッションなどのほうに関心が行く。

Ponte Vecchio が見えるポー川沿いの Café に座って道行く人たちを眺めながらコーヒーを楽しんだ。

そのあと有名店が立ち並ぶ通りを歩く。

わたしはボルサリーノの店を覘いてみた。わたしの手の出せる値段で掘り出し物はないかと探してみたが試みは不作に終わった。これならミュンヘンのボルサリー店で買えば良い。

14時ごろから数人が入店待ちで並んでいるカフェの列に加わり待ったが、40分以上待ってようやく入れた。そこで軽く食べてコーヒーを飲んでから帰路につく。

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駐車料金は60€(4時間)とかなり高かったが、車を盗まれることを考えたら納得。

17時にトスカーナ着。夕食にまた出掛けるので2時間ほどそれぞれに休息を取る。

夕食は San Gusme に住む旧知の友人夫婦を Castelnuove Berardenga のレストランに招いて6人でおいしく食べた。22時にお開き。

Siena へ

2024年11月8日(金)・快晴/最高気温18度

8時起床。

時間は短かったけれど熟睡できたので気持ちの良い目覚め。今日もトスカーナは快晴。ミュンヘンのお天気はどうかなと見てみたら最高気温が8度となっている。すごく得をしたような気分。

午前中には庭のオリーブを収穫する人が3人ほど入った。前部で16箱の収穫だったようだ。

午後13時半頃からまたここの主人に誘われて散歩に出掛ける。昨日と全く同じコース。帰宅は15時を過ぎていた。

17時にここを出発して Siena へ。ここのご夫妻と友達のデンマーク人夫婦と会食の約束をしていたのでわれわれもそれにお相伴する。

Siena についたときにはもうとっぷりと日が暮れていた。カンポ広場に沿った Café で軽く飲んでからレストラン Osteria le Logge へ。

もうここはわれわれにとってもおなじみのレストラン。隣の大人数の席が少し煩かったけれど、いつものように満足して帰宅。家に着いたのは23時半。Siena の街も歩いたので歩数は 13,445歩(9,9km)。

生まれて初めての便秘

2024年11月7日(木)・快晴/最高気温18度

明け方5時過ぎに苦しくて目が覚めた。小用だと思ったのだが用が足せない。なんだか固いボールのような感じが肛門の付近に感じられる。「便秘」だとすぐに気がついた。

今日は11時20分にここを出発し、Poggibonsi で魚料理の昼食を取り、そのあとフィレンツェへ向かい数時間の観光という計画だった。

⒌時半頃からなんとか便秘を治そうと、散歩をしたりコーヒーを飲んだりしたのだが、一向に良くならない。もし、観光の途中で身体に異変が生じたらどうしようかと不安だった。ヨーロッパの街では日本のように簡単にトイレは見つからないのだ。ギリギリまで試してみたが、症状が改善しないので今日は同行するのを諦めた。

そのあと一時間ほどウツラウツラしたりして、午後の14時半頃になってようやく苦しみから解放された。わたしにとっては生まれて初めての便秘で、こんなに辛いものだとは思わなかった。何事も体験してみないとわからない。

午後は太陽が西に傾くまで一時間ほどテラスでKindle本を読む。正直に言うと観光客で混んでいるフィレンツェに行くよりはこうしてトスカーナの空気と太陽を享受できるほうが嬉しい。

ブリギッテたちは結局17時ごろに帰宅。フィレンツェ行きは土曜日に延期することにしたそうだ。

18時ごろから四人での談笑。そのあとテレビで ZDF の政治討論会を見て23時30分のお開き。

トスカーナの明るい光を満喫

2024年11月6日(水)・快晴/外気温18度

8時半起床。

ゆっくりの起床、そして簡単な朝食。外は快晴で本当に素晴らしいお天気。

ここに来たのは数年ぶりだったので朝食のあとは敷地のあちこちを歩いて廻った。ちょうど庭師が入っていて彼たちの機器が立てる音はうるさかったが、その反面、美しく整備された庭は気持ちが良かった。

午後、思い立ってこの辺の散歩に出掛けようとしたら、ご主人の S 氏も一緒に行くと言うので二人で歩き出した。しばらく見ないうちに彼は少ししぼんだ感じで余り元気が無い。誰にでも老いは訪れるのだとあらためて感じる。起伏の多い土地なのでかなり疲れた。歩数は9000歩ほどだったけれど、平地を歩く1.5倍の疲れを感じる。しかし、10月6日のハイキングを経験しているので今日は余裕だった。

帰宅して1時間ほど沈みゆく夕陽を楽しんだあと、われわれの部屋に引き取る。一時間ほど眠った。19時に待ち合わせてレストランへ。San Gusme に住む友人を誘って5人で食卓を囲む。レストランは Castelnuovo Berardinga の中央にある Bengodi Enoteca & Cucina 。入り口はどうということの無い店構えだが中に入ってみると、これぞイタリア、という感じ。

われわれは壁1面にワインが並んだ部屋で食事を楽しんだ。

トスカーナに到着

2024年11月5日(火)・晴れ/最高気温18度

8時起床。

ここでの宿泊は地下の駐車場を使えたので昨夜は車盗難の危険が無かったからゆったりと眠ることが出来た。ドイツ国外に出て一番心配なのは「盗難」である。車で旅行をしていて車の盗難に遭うほど困ることはない。そしてそれは珍しいことではないのだ。

ゆっくりと朝食をとって11時過ぎの出発。今日の目的地には何時に着かなくてはいけないという制約がなかったので精神的にはのんびりとしたものだった。途中でコーヒーを飲んだり、ガソリンの補給もあったので2度ほど休憩をとる。

しかし途中でアウトバーンの道を間違えてミラノへ向かってしまった。(A1) レッジョ・エミーリアからまた引き返すことになり一時間ほどのロスタイム。

トスカーナの目的地に着いたのは今回の招待主夫妻とほぼ同じ時間。彼たちは Turin で用事を済ませて帰宅したのだった。

荷物を部屋に入れて整理してからゆっくりと夕食。皆、疲れていて21時過ぎのお開き。

イタリアへ

2024年11月4日(月)・晴れ/最高気温18度

7時半起床。

今日からイタリアへの旅に出る。明日からトスカーナで過ごす予定なのだが、ミュンヘンからトスカーナまで車で走ると7〜8時間かかる。若いときには一気に走ったのだが、最近は心身の消耗が激しいので途中で一晩泊まる方法をとっている。イタリアのなんでもない小都市で一泊するのも悪くない。無理して自動車事故を起こしたりしたらなんのための旅行かと思う。

ブリギッテと交代で運転する予定で11時過ぎに出発。しかし、彼女の体調がいいということで今日は全て運転して貰うことにする。私は昨夜の眠りがちょっと良くなかったのでこれには感謝。わたしが助手席で眠っている間、アウトバーンは意外に空いていてかなり走り易かったようだ。

15時頃に目的地に到着。ホテルと言うよりは Airbnb のスタイルでまだ新しく、設備もかなりのもの。値段も一泊117€と大いに満足。

しばらくゆっくりしてから夕食に近くの Pizzeria に出掛ける。ミュンヘンで食べる Pizza とそれほど変わらないけれどそれなりにおいしかった。さすがに疲れて22時ごろの就寝

バイエルンの秋を楽しむハイキングに参加

2024年10月6日(日)・快晴/最高気温9度

5時45分起床。

今日のハイキングは Hbf に7時40分の集合なので、余裕をみて早起き。6時44分の Tram で出発。

参加者は24人ということだが、77歳のわたしが最高齢。決して他の参加者に迷惑、心配はかけまいと自分に言い聞かせる。

列車とバスを乗り継いで登り口に到着したのは.9時50分頃。しかし今日の目的地であった Rotwandhaus 付近は昨夜降った雪で危険ということで予定を変更。ザイルバーンを使わない Roßkopf に向かうコースに変更になった。

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歩き始めたときにはそれほど急な勾配もなく、道も整備されていて楽勝かと思ったが、ほぼ中間地点まできたときには息も上がり、脚もかなり疲れていた。今回面倒をみてくれたスタッフが

「これから先の十字架のある頂上まで歩きますが、体調に自信の無い方は今、右手上に見えているアルムで休んでいてください。ここで昼食を取る予定ですのでわれわれは約一時間ほどで戻ってきます」

と言ってくれたのでわたしはそれに甘えることにした。しかし、皆が出発して見ると残ったのはわたしひとりだった。ちょっと恥ずかしかったが途中で何かあって皆さんに迷惑をかけるよりは良いと思い直して小高い丘の上に立つ Obere Fristalm まで登り出す。

しかし、この傾斜が見た目以上に難物だった。すぐ手の届くところに建っている ALM にたどり着くまでの道は泥濘の部分もある急坂で、滑ったら大変だと思い2度ほど立ち止まって息を整えた。やっとの思いで ALM に着いた時にはホッとした。やはり他の皆さんに付いていかなくて良かったのだと思った。

折りからの素晴らしい陽の光を浴びながら絶景を目の前にして Weißbier (ノンアルコール)を楽しむ。昼食は皆さんが戻ってくるのを待って一緒に食べようと思った。しかし一時間ほど経っても帰ってこない。まあ、このお天気だから遭難などの心配はないだろうが、と思いながら待っているとようやく2時間ほどあとに一人二人と戻ってきた。その人達の足もとを見ると靴が泥だらけになっている。聞いてみると頂上までの最後の部分がかなりキツかったそうだ。またまた「同行しなくて正解だった」と自分を正当化する。

ALM での食事は量はもちろんタップリだったし、味も値段も良心的なもの。

ゆっくりと昼食を楽しみ、さて、帰途につくわけだが、上ってきた同じ道を降りるのはわたしにとってかなり厳しいな、と不安に思っていたところ、スタッフの方が帰路は車とか冬の剃りとかが使う道を下りますといってくれて安堵する。

しかし下山し始めてからすぐにわたしの太腿の前部の筋肉がこわばってきているのに気付いた。ちょっと足が痙ったときのような感じがして「これは困った!」と思いながら歩き続けた。最初は左脚だけだったのだが、次第に右脚も同じような感覚になってくる。そして終点のバス乗り場まで、これがなかなか到着しない。登るときはそうとも思わなかったのだが、けっこうな高みまで歩いていたのだ。バス停が見えるところまで到着したときには本当にホッとした。

バスから列車への乗り次もこれ以上はないと言えるほどのピッタリのタイミング。無事18時近くにミュンヘン中央駅に着きそこで今回の山歩きは終了・解散。

そこから、希望者があれば、一杯やりましょうというスタッフの提案で中華料理店 FUYUAN へ向かう。わたしも旅の終わりがスパッと切れてしまうのは寂しいので参加。レストランの席に着いたのは8人だった。

今日はオクトーバーフェストの最終日ということで、そこから流れてきた人たちで店内はほぼ満席で喧噪に満ちていた。気がついてみるとわれわれもその中に融け込んでいて、とても楽しく飲み、会話を交わした。21時過ぎのお開き。帰りの地下鉄、 Tram の中で自分の身体の限界まで楽しんだという満足感に浸りながら22時の帰宅。

デュッセルドルフ→ミュンヘン

2024年9月29日(日)・晴れ/最高気温14度

8時起床。

ゆっくりと荷造りをしてからホテル斜め前の角にあるカフェで簡単な朝食。このパン屋さんはかなり流行っているようだった。ミュンヘンのわが家の近くにもこんなパン屋が有ればいいのに。

10:40にチェックアウト。日曜日でほとんどの店は閉まっているので Tram でまっすぐ Hbf へと向かう。大きな鞄をコインロッカーに預けてから 駅構内のマクドナルドで昼食。その後13:23発の ICE でミュンヘンへ。今回は往きも帰りも「静かな空間」の席を予約していたので快適だった。

今回も列車は遅れて18:18ミュンヘン着。駅の構内は折りからのオクトーバーフェストのためにかなりの人混み。

帰宅したのは19時ちょうどだった。ブリギッテが用意してくれていたスパゲッティで夕食を済ませる。

DeJaK−友の会 のイベントに参加

2024年9月28日(土)・曇りときどき晴れ

6時半起床。

起床時間が少し早すぎた。しかしゆっくりと準備ができるのは吉。
8時ごろからホテル斜め前のカフェで簡単な朝食。そのあと10時開催のイベントに向かう。

このイベントはとても面白かった。カード遊びのようで、初めは馬鹿にしていたが、自分の頭の整理にはとても役立ったようだ。

終了後近くの弁当屋さんで弁当を購入。とても満足のいく内容だった。(料金はたったの10€50セント)

わたしは午後のイベントを欠席して、そこから歩いてユニクロまで向かう。予定していた、ジョギング用ズボンを購入。39ユーロ90セント。

そこを出てから歩いてホテルまで戻り、一息ついて30分ほどの昼寝。

夕方はライン川沿いのそぞろ歩き。土曜日の夕方とあってかなりの人出だった。にわか雨に遭いながらホテルに戻る。

夕食は近くのイタリアレストランで。タコのカルパッチョ,ボンゴレのリングイネがとてもおいしかった。21時30分ホテル着。それから部屋で少し飲み直す。

Düsseldorf への小旅行

2024年9月27日(金)・曇り

6時起床。

今日から二泊三日のデユッセルドルフへの旅。目的は DeJaK−友の会 のイベントに参加することである。ミュンヘンの中央駅発が8時47分なので、早起きをして7時40分に家を出る。

列車の旅はそれなりに快適だったのだが、デュッセルドルフ到着はやはり遅れて14時20分だった。

まっすぐに予約してあったホテルに行き、チェックイン。少し休んで15時からからホテル近くの Hofgarten を少し散策し、Immermannstr. へと向かう。今夜は「串亭」で夕食。

さすがにミュンヘンの日本食よりはレベルが上だと思った。19時過ぎまで楽しんでホテルに戻る。今夜は疲れて就寝。

ミュンヘンに戻ってきた

2024年9月22日(日)・快晴/ 最高気温25度

7時半起床。

昨日、一昨日と違ってゆったりとした目覚め。しかしわたしの腰の不調は相変わらず。ミュンヘンに戻るまでギックリ腰の症状が出ないようにと注意してシャワーを浴びたりする。こんなこともあろうかと歯医者から貰っていた痛み止めの錠剤を用心のために服用しておく。

朝食はゆっくりと楽しんだ。このホテル、朝食は申し分ない。しかし部屋のシャワーの水圧が弱いのと、こまごまとした点で改善すべき点はあるように思う。

午前中はブリギッテが Altstadtmuseum を観たいというのでそれに付き合う。思っていたほど退屈ではなかった。そのあと広場に面した Café でコーヒーを飲みながら行き交う人々を観察する。日曜日の朝ということで、人出は少なかったけれど12時を過ぎる頃からだんだん人が集まってきた。その感想は太った男女が多いということ。特に男性は腹の出た人がやたら目に付いた。わたしが最近の我が身を気にしているからかも知れない。ほぼ一時間ほどの観察で美男美女はひとりも見つけられなかった。

15時57分発の ICE でミュンヘンに向かう。幸いなことに売れ残ったブリギッテの著作は郵便で送ってくれるように手配したので、重い荷物を持って帰らなくても良くなった。

帰途の DB も時刻表通りとはいかず遅れが目立った。途中の駅で連結したために、ある停車駅ではホームの長さが足りないので、乗客は前の車両に移動して下車してくれという車内放送があり、これには失笑してしまった。

ミュンヘンには定刻より遅れて到着。中央駅では酔っ払ったのか、床に倒れて警察のお世話になっている人が居たりした。昨日からミュンヘンはオクトーバーフェストが始まったので、飲み過ぎた人だろうか。

9時40分に無事に帰宅した。ドイツはまたコロナが流行りだしていてこれから心配である。

ブリギッテの著作を展示・販売

2024年9月21日(土曜) ・快晴/最高気温25度

6時起床。

6時半過ぎにホテルの朝食ルームで朝食を取る。その後ホテルの斜め前の乗り場からバスに乗ってStaatstheaterへ。

9時から本を並べる。机をセット。これは思ったよりもスピーディーに完成した。

9時から今日のお客たちが入ってきた。

10時からSchlesischer Kultutpreis の表彰式が始まり、ブリギッテが客席でそれを見ている間に私は店番。この時間はちょっと退屈だった。

14時から立食パーティーがあり、そこで少し食べてからホテルに戻る。正直言ってかなり疲れていた。

部屋に戻ってから私は遅い昼寝。夕方4時ごろから街の中心に出かけちょっと早い夕食を取る。今日はクロアチア料理だった。

Brigitteは8時から Stätische alte Museum での講演会を聞きたいと言うので、彼女を会場まで送り、私はホテルに戻る。明日の荷造りがちょっと気にかかるな。今日は疲れてなにもやる気なし。早々とベッドに横になった。

Braunschweig への小旅行

2024年9月20日(金)・快晴/最高気温23度

6時起床。

今日から二日間 Braunschweig へ行く。8時10分前のトラムで中央駅へ向かう。持っていくカバンがとても重い。数日前から腰に不安を感じているので、注意しながら腰に負担をかけないようにカバンを持ち歩く。列車は時間通り出発。

しかしDBは予想した通り、時刻表通りには走らない。数10分の遅れなどはもう織り込み済み。途中ではGöttingen で乗り換えなければならないのだが、この連絡がどうにも不安定だった。

その中でも傑作だったのは車内アナウンスで “Ist zufällig ein weiterer Lockführer an Bord?” (この電車に予備の運転手が乗っていませんか? )というのがあったこと。飛行機に乗っていて「病人が出ましたので、この機内にお医者さんが乗っていたらご連絡下さい」というのは何度か経験があるけれど自分の乗っている電車の運転手というのは初めてだった。そして不安になった。

結末を聞いて笑ってしまった。この電車内のコーヒーメーカーが故障していたので販売員がそれを治せる運転手を探した、ということだったらしい。車掌(女性)の「これから先はコーヒを販売できます!」と嬉しそうにアナウンスされたときにはわたし以外の乗客もズッコケていた。

結局1時間近くの遅れでようやく目的地の Braunschweig 駅に到着した。  

幸い、招待してくれた相手が予約しておいてくれたホテルは快適。
ホテルの部屋で少し休憩してから街へ出かけてみる。明日の会場であるオペラ劇場 (Staatstheater)まで歩いてみた。

下見が終わってホテルに帰る途中で夕食を取る。ベトナム料理がおいしかった。

今日は早寝をして、明日はまた6時過ぎの早起きである。

14日目:東京→ヘルシンキ→ミュンヘン

2024年6月1日(土)・東京は曇り、ミュンヘンは雨

3時45分起床。

羽田発、8時25分の飛行機に乗る。ヘルシンキまではJAL、ヘルシンキからミュンヘンは Finair だった。

ゆっくりと身支度を調えてホテルの前から5時半発の京急リムジンバスに乗る。けっこう混んでいた。

ヘルシンキまでのJALは添乗員も親切だったし、食事もおいしかったが、とにかく乗っている時間が長い。北極点の近くを跳んでいたようで12時間以上掛かっていた。ただ飛行機の窓からは緑と青のオーロラが見えていてわたしには珍しいものだった。

実は一昨日飛行機のチケットを見直して気がついたのだが、ヘルシンキに到着するのが15時40分で乗り次の Finair の出発時間が16時15分と35分しか無い。これはいかになんでも無理だ。

何とかなるだろうと腹をくくっていたが、飛行中はやはりそれが気になって落ち着けなかった。しかしそれは Finair の出発時間が遅れたことで解消した。わたしの他にもそのような乗客が数人いたようだったから計らってくれたのかも知れない。

ホッとしたのかヘルシンキからの機内でわたしは爆睡。ミュンヘン空港に到着すると雨だった。

いったんアンナもわが家に落ち着き、夕食を食べたあと自宅に戻っていった。

13日目:食料品の買い出しと荷造り

2024年5月31日(金)・雨のち曇り/最高気温22度

6時半起床。

昨夜は就寝前に脂っこいものを食べたせいか眠りはあまり良くなかった。

9時半にアンナと待ち合わせる約束をしていたのだが、窓の外は雨。これでは外歩きは辛いのでアンナと話し合って今日はお互いに自由行動にしようと決める。この案に彼女は我が意を得たりと歓んだが、わたしも落ち着いて最後の日の荷造りをしたかった。

今回は親戚一同が集まる機会があったり、友人宅に数泊させて貰ったりしたので運んできたお土産が多く、それらが全て無くなった今、トランクの中はガラガラ! 孫たちへのお土産のほかにせっかくだから食料品を詰め込んでいこうと思う。

途中でアンナの眼鏡買いに付き合う。これにはわたしの通訳が必要だった。日本に着いた翌日 JINS で一つ作ったのだが、それが気に入ってもう一つ作りたくなったらしい。現在は為替のせいもあるがとにかく安い! ほとんどその場で出来上がる JINS のサービスには彼女も驚き、満足げ。

わたしは Atré の中の成城石井でミュンヘンに持っていきたい食料品のほとんどを揃えた。そこに売っていないものはこのホテルの一階にある「大井食料品館」で購入。まずはミュンヘンでは手に入らないものを買い、次にミュンヘンで買えても値段の差が大きいものを探して購入した。旅の最後の日はいつもこんな感じである。

14時半頃から「お風呂の王様」で入浴。今回の旅では4回も温泉(大浴場)に入ることができたので大満足。

18時半にアンナと今回最後の夕食に出掛ける。締めはやはり「丸八」のトンカツ定食になった。

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部屋に戻って荷造りを点検して就寝。明朝は5時起きである。

今日の歩数は6,601歩、5,0km。

12日目:上野→根津神社→巣鴨(とげ抜き地蔵)→秋葉原

2024年5月30日(木)・晴れのち曇り/最高気温28度

昨夜はあまり良い睡眠が取れなかった。アンナと約束していたのは9時半だったのでそれまでの時間を持て余してしまった。最後の荷造りは明日にしようと思っていたが、どうせ時間があるからといちおう取りかかった。しかし、これはあまり意味がない。やはり最終日にガガッと片づけるのが一番。

今日は上野公園から東京藝大のキャンパスを観て、そこから歩いて「根津神社」に向かった。この頃の時間が一番暑いと感じた。「根津神社」の近くで「かき氷」の旗がぶら下がっているのをを見つけて何年ぶりかで食べることにした。わたしもアンナも「イチゴミルク」を注文。削られた氷も子供の頃の記憶よりは遙かに上品でそこが物足りないと言えば言える。しかしおいしかった。

根津神社ではツツジがまだ残っていないかなぁと期待していたのだが、すっかり終わってしまっていた。それでも丸く刈り込まれた緑の葉が美しい。人出も多くなくて楽しめた。

そこからバスに乗り上野・松坂屋の前で下車。13時を過ぎていてお腹が空いていたのでソバでも食べようかと思ったらアンナが「牛丼」を食べたいと言うのでわたしもそれに乗った。

そのあと山手線で巣鴨へ。アンナがインターネットで調べて、行ってみたいと言う。訪れる年寄りのためにバリアフリーの道路を作った街だというのに興味を持ったらしい。

行ってみるとそれは「とげ抜き地蔵」のあるところだった。わたしは10年ほど東京に住んでいたのにここには来たことがなかった。赤い下着を売っている店が目についた。この辺でわたしはかなり疲れている。

これも忘れていたのだが、今回の一時帰国ではエレコムの「超強力クリーナークロス」を買うつもりだった。それを思い出し秋葉原で下車し、ヨドバシカメラで購入。

そのあとわたしは疲れたのでホテルへ帰ることにしたがアンナは電気街でアニメのコスプレした人を見たいという。これも彼女の情報源から仕入れたらしい。わたしは1人でホテル着。

もうひとつ忘れていたことがあって、ドイツに帰る間際にいつもの「床屋」で髪を切ってもらおうと思っていた。アンナとの夕食の約束は19時半頃なのでそれまでには間に合うだろうと大井町駅近くの理容店へ。毎回感心するのだが、手際が良くて安くて早い。満足してホテルの部屋に戻ってきた。

夕食はお昼がご飯ものだったのでラーメンにする。そういえば今回の旅ではまだラーメンは食べてなかった。駅向こうの「永楽」で「チャーシュー麵」をそれぞれ、「野菜炒め」と「餃子」を頼んだ。なんだか今回はそんなにおいしいとは思わなかった。ちょっとコッテリしていたからかも。

今日の歩数は15,872歩・11,9km。

11日目:浅草寺、かっぱ橋道具街

2024年5月29日(水)・晴れ/最高気温27度

7時起床。

昨夜は3時ごろに眼が覚めてトイレに行ってからしばらく眠れなかった。いろいろな考え事が頭に浮かんでは消えていたが夜中の暗い空間で気になることを考えるのは良くないとあらためて思う。朝の光を浴びるとそれらのことが霧散していった。

9時半にアンナと待ち合わせをしたあと、わたしひとりで銀座へ。アンナも探しているお土産があるらしく、別れてお互いの買い物を片づける。いったんホテルに戻ってから今度は一緒にイトーヨーカドーへ。孫たちの弁当箱を購入した。

昼過ぎから「浅草」へと向かう。アンナは浅草寺そして仲見世を見てみたいと言う。浅草に着いた頃には太陽が真上に位置していてかなりの暑さだった。思っていたとおりに人出が半端ではなく多い。

浅草寺にお参りをしたあと徒歩で「かっぱ橋道具街」に向かった。かなり疲れたので喫茶店に入りコーヒーを飲む。そのあと道具街をザッと見て「かなやのヘアブラシ」を購入。16時半頃にホテルに戻る。

18時半に友人夫婦とホテルのロビーで待ち合わせして、夕食を共にする。先回は友人がコロナに掛かった直後だったから、用心して挨拶をしただけだった。21時半過ぎのお開き。

今日の歩数は13,486歩・10,3km。

10日目:雨と風の一日

2024年5月28日(火)・雨/最高気温27度

6時起床。

暑くて寝汗を搔き、夜中に目が覚めた。

7時ごろに下の FamilyMart でおにぎり二つとコーヒーを購入。その時に1万円札を渡して Suica に5000円チャージした。部屋に戻ってしばらくしておつりの5000円が手元に見当たらないことに気がついた。

9時半頃に FamilyMart に行って事情を説明すると店長が出て来て防犯カメラを設置してあるから調べてみます、ということだった。

11時過ぎに再び行ってみると防犯カメラにはレシートを受け取った映像が残っていてわたしが5000円紙幣を受け取ってはいないことが判明。そこでにこやかに5000円札を渡してくれた。これはちょっといい話。

アンナとは10時に落ち合って向かいのイトーヨーカドーへ孫たちに頼まれた弁当箱を買いに行く。去年買っていったものが壊れてしまったらしい。今回の孫たちへのお土産も弁当箱になる。

そのあと銀座へと向かった。ちょうど雨が止んだときで空気はいかにも蒸し暑い。有楽町駅で下車し、木村屋で買ったあんパン、抹茶パン、を囓りながら銀座をぶらぶらし始めた。デパートの食品売り場を見たいと言うので MATSUYA、 MITSUKOSHI の両店を見て回る。これでわたしは疲れてしまった。

そのあと Apple Store でiPad Airの新製品を見て外へ出ると雨が降ってきたので、向かいのおもちゃ博物館に避難する。ここでもアンナに付き合っていちおう店内を見て回る。

そのあと有楽町駅の「吉野家」で今回の旅で初めての牛丼を食べる。やはりおいしい! 疲れてホテルに戻ってきたのは15時頃だった。アンナはひと休みしてまた買い物に出掛けたらしい。わたしは一時間ほどグッスリと眠った。

眼が覚めてから駅の Atré に行きユニクロで自分のポロシャツ3枚を購入。

アンナは20時15分くらいに戻ってきた。外は強風と雨という最悪のお天気なのでこのホテルの二階にある「大戸屋」で夕食をとった。わたしは「豚の生姜焼き定食」にトロロをトッピング、

アンナは「チキンカツ定食」に納豆をトッピングしたものを注文。

わたしは生ビールの中ジョッキを頼んで、そのお値段は何と¥2670(約15€)というから驚きの安さだ。はたしてこれで儲けが出るのだろうか。

そのあとシャワーを浴びて就寝は22時30分を過ぎた。

今日の歩数は13,382歩・10.2km。

9日目:京都→東京

2024年5月27日(月)・小雨ときどき曇り/最高気温25度

7時起床。

朝から小雨が降っている。朝食の前に荷造りを済ませた。ほとんどのお土産を手渡したあとなので大きい RIMOWA の中に小型のバッグが入れ子のように収まり荷物がひとつ減った。

M 氏の車で野洲駅まで送って貰い名残惜しかったけれど別れを告げる。今回は本当にお世話になってしまった。

京都駅に着いてすぐに駅のコインロッカーに大きなスーツケースを入れて「二条城」へと向かう。アンナはデパートを見て回りたかったらしいけれど京都でデパート巡りをすることもないだろう。小雨の中の「二条城」もまた彼女の心に残るものになると期待する。下の写真は「二条城」の内部を見学したあとで観た庭園。

京都駅の地下街で「暖かいソバと小カツ丼」のセットメニューを昼食に食べる。アンナは「冷たいソバと天ぷら」。15時08分の「ひかり512号」で東京へ向かった。

新幹線はせっかく左側に座席を取ったのだが、残念ながら雲に隠れて富士山は見えなかった。18時ごろにホテル着。

今夕は京都旅行中に溜まった洗濯物をアンナがホテルにある洗濯機で洗ってくれた。夕食はそれほど食欲がなかったのでホテルの下にある食品店で「お寿司」を買ってきて二人で室内で食べた。洗い上がった洗濯物を乾燥機に入れるので食事は中断されたけれど、これも旅の途中らしくてなかなか良いものである。23時前の就寝。

今日の歩数は10,401歩、7.9km。

8日目:膝が笑った

2024年5月26日(日)・晴れのち曇り/最高気温25度

7時起床。

今日も清々しい良いお天気。7時に目覚めて朝食をいただいてからさて、今日は何処を観光しようかと考える。昨日行こうと思って断念した「長命寺」に行くことにする。M 氏がここから車で30分ほどだから送っていってあげると言う。そのお言葉に甘えた。

「長命寺」は山の高いところにあって808段の石段を登らなくてはならない。昨日の疲れがまだ足に残っている感じだったので、山の途中まで車に乗せて貰った。そこから200段ほど登ってようやくお寺に着く。

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高所だからかさすがに観光客は少なくてとても静かな良い時間をじっくりと楽しむことができた。さて、そろそろ下山しようとして

1.車で上ってきた道を徒歩で降りるか
2. 808段の石段を下りるか。

どちらを選ぶかちょっと迷ったがこの際だからと 2.を選んだ。

しかし、この石段が規則正しい石段ではなく、さまざま大きさの石を集めて敷いた階段だったから下り始めてしばらくしたときには「しまった!」と思ったが後の祭り。何度も休憩をとりながらやっとの事で下山できたときには文字通り「膝が笑った」。寺が用意してくれていた杖を使ったのが正解でこれが無くてはきっと途中で立ち往生してしまったに違いない。

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ちょうどお腹が空いたのでその近くにあった温泉+レストランに入り「天ざる定食」を食べる。お風呂に入るのは嫌だと言うアンナを待たせてわたしは食事のあと一人で温泉に浸かった。ドイツにいるときには近場の山に遊んだときにいつも「下山したときに温泉があったなら!」と思っていたので本当に幸せ!

M 氏が車で送ってくれたときに「水郷巡りの船も面白いですよ」と教えてくれたのでそれを探して観る。

近いところにその船着き場を見つけて15時からの船に乗ることに決めた。客はわたしとアンナだけ。少し曇ってきていたが葦が茂る中の水道をゆったりと走って行く和船は楽しかった。

アンナもとても気に入った様子。

それが済んでからバスに乗り「近江八幡駅」に向かう予定だったが水郷巡りの船頭さんが車で「近江八幡駅」まで送ってくれた。本当に親切!

18時から M 氏とその息子さんと待ち合わせて草津の「梅の花」という「ゆば料理」で名の知れたレストランで豪華な夕食をいただく。帰宅は20時過ぎ。

それからしばらく M 氏と焼酎を飲み交わしながら話をして21時過ぎにお開き。

今日の歩数は7,654歩、5.7km。

7日目:彦根城、京都駅、座禅

2024年5月25日(土)・快晴/最高気温26度

7時起床。

昨夜は思いのほかよく眠れて気持ちの良い朝を迎えた。

今日はどこを観光するかでアンナと相談する。わたしは「二条城」をと考えていたのだが、彼女は昨日の伏見稲荷の人出の多さに閉口していたらしく観光客があまり行かないところを観たいと言う。京都市内ではそれはなかなか難しい。

そこで思い出したのが「彦根城」。わたしも1度観光していたいと思っていた場所で、京都市内からは離れていてほとんど米原に近い。そこに行ってみることにする。そしてそれは正解だった。

お天気も爽やかで昨日ほど暑くは無く観光客も多くはなかったけれど、少なくはなかった。結局、天守閣まで登ったのだが、一番楽しめたのは庭園だった。今の時期の新緑の美しさと言ったらため息が出るほどで、それを何度も口に出すものだからアンナから笑われた。庭園の中で抹茶をいただいたのも楽しかった。ちょうど疲れていたときだったので抹茶に付いてきた小さな菓子がとても染みた。下の写真は天守閣から見下ろした庭園。

ただ、天守閣までの階段が意識してわざと異なる段差に作られていたのはけっこう、膝に応えた。

13時過ぎに帰りの列車に乗り次は近江八幡にほど近い「長命寺」に行く予定だった。しかし「長命寺」は八百段の階段を昇らなくてはならないということで、膝が心配になり中止とした。

そのまま京都駅まで乗り、これもアンナが観たいと言っていた京都駅構内の最上階へと行くことにした。そこからの展望を楽しみたかったらしい。土曜日とあって折りから「京都市内の高校生ブラスバンド」による演奏が行われていてほぼ満員の聴衆だった。とっても楽しい雰囲気を楽しんだ。

16時から銀閣寺近くのうどん屋さん「おめん」という店で M 氏と夕食を約束していたのでそこへ向かう。

バスで「銀閣寺道」まで乗りそこから「哲学の道」を歩いて「おめん」に向かう。いかにも京都らしい店で大いに楽しめた。

そして今日の締めはこれも M 氏が計画しておいてくれた南禅寺系列の「光雲寺」での「体験座禅」。20時からと遅い時間だったけれどとっても興味深いものだった。

帰宅は22時を過ぎていたが M 氏と一杯やってから就寝。

今日の歩数は20,750歩、15.8km。

6日目:京都観光

2024年5月24日(金)・晴/最高気温30度

6時起床。

京都観光の第一日目である。アンナの都合で京都駅に9時15分に着かなくてはならなかったために早起きとなった。1人ならサッサと用意を調えて出掛ければ良いのだが、2人だとシャワーや身支度に倍の時間が掛かるから仕方がない。

この家にも BALMUDA があったので念願のおいしい部厚い日本のトーストを食べることが出来た。外側がカリッとして中はムチッとした舌触り。

8時40分に家を出て徒歩で野洲駅に向かう。10分ほどの距離だった。

京都駅でアンナの知り合いの親子3人と落ち合い、そこから今日はわたしひとりの時間となった。さて、何処へ行こうかと考えたところまだ「宇治の平等院」を見ていないことを思いだした。数年前に鳳凰堂の前まで行ったのだが修復中で何も観ることができなかったのである。それを今日は取り返すことができた。11時頃から気温が上がり始め観終わったときにはかなり汗を掻いた。

そこから宇治川に沿って少し歩き「宇治上神社」まで見て帰路につく。

途中で名物らしい「宇治だんご」を2串たべる。ほんのりとした甘さに好感を持つ。

電車に乗る前に昼食として「抹茶そば」を食べた。これはそれほどでもないかな。

午後3時過ぎにアンナとその有人家族に会い、そこで彼女たちと別れる。まだ4時前だったのでもう一つどこかのお寺を見ていこうということになり、ちょうどバス停に来た清水寺行きに跳び乗った。

想像していたとおり、清水寺はすごい人出。

初詣のような感じだったし、行きはダラダラ坂を登るのでここでも汗を掻いた。でもアンナのためには行っておいて良かったと思う。

夕食は野洲の駅に着いてから「餃子の王将」で食べる。お腹も空いていたのでおいしかった。20時前に帰宅。それから焼酎を2杯いただいたあと、彼のオーディオ装置でジャズをLPで聴かせて貰う。いい音で鳴っていた。22時過ぎのお開き。

今日の歩数は18,580歩、14,0km。

5日目:いわき→品川→野洲

2024年5月23日(木)・晴れ/最高気温26度

7時起床。

いわき市のホテルでの目覚め。まあまあよく眠れたほうである。気分は悪くない。8時からの朝食に間に合うようにシャワーを浴び、準備を整える。

ホテル東横インいわきの朝食は和食のバイキングで小規模ながら心が行き届いていた。アンナは朝食にカレーライスがあるのに驚いていた。わたしは日本に着いてから食べ過ぎの感があるので控え目にしようと思ったが、終わってみるとご飯は2杯食べているしいつもの通りとなった。

10時17分発の「日立10号」に乗り東京を目指す。車中でわたしは眠ったようだ。品川で新幹線に乗り換える。

車窓から運良く富士山が見えて、アンナは大喜び。

今夜から4泊お世話になる方の住む「野洲」へと向かう。13時40分発・新幹線「ひかり645号」で米原で乗り換え、16時46分に野洲駅に到着。M 氏が迎えに来てくれていた。

彼が用意してくれた心づくしの夕食を一緒に取り、7時半頃に帰宅した彼の息子 K 君もまじえたひとときを過ごす。
22時のお開き。

今日の歩数は4,776歩、3,6km。

4日目:いわきー墓参り

2024年5月22日(水)・晴れ/最高気温21度

6時起床。

昨夜は再び3時半頃に目覚めたあと寝付けなかった。6時に起きて大浴場へと向かう。この時間だと他の泊まり客もまだ入っていなくてわたしの独占状態。朝日が水平線に輝いていて左手奥には塩屋埼灯台が見える。贅沢な時間。

8時から大食堂にてまた9人が揃い朝食。これも食べきれないほどの種類のおかずが並ぶ。わたしは昨夜飽食していたから余り食欲がない。それでもほとんど平らげた。残したのは温泉卵だけ。この調子で行くとミュンヘンに戻るときには体重が何㎏になっていることやら。

10時にチェックアウトして墓参りに向かう。9人は車2台に分乗。お墓に着いた頃にはお昼近くで陽の光がけっこう強い。しかし風もかなり吹いていたからそれほどの暑さは感じなかった。

お墓参りから戻る途中で昼食にとイタリアレストランに入る。わたしとアンナはコーヒーだけで済ませたが、他の家族たちはまたまた旺盛な食欲。特にわたしよりも7歳上の姉は細身の身体なのにすごい食欲で驚いた。

いったん兄宅に戻り、そこでお茶を飲んだあとお開きとなる。今度来れるときまで兄が元気でいてくれることを願った。15時に駅からほど近いホテル「東横インいわき」にチェックイン。

アンナがホテルの洗濯施設で作業をしている間わたしはベッドに入って気持ちの良い午寝。やはり昼寝が習慣になっているので昼寝なしの午後は辛い。

18時ごろに駅近くまで歩いて「海宝」という店に入る。

そこで「イカ刺し」「牡蠣フライ」そして「特上寿司」を注文。前者の二皿はそれほど量は多くなかったが新鮮でおいしい。寿司はやっと本物の寿司が食べられたという思い。

ブラブラと徒歩でホテルに戻り21時過ぎの就寝。今夜はよく眠れると良いのだが。

今日の歩数は3,732歩、2,8km。

3日目:東京→いわき

2024年5月21日(火)・晴れ/最高気温27度(いわき)

7時起床。

昨夜はよく眠れた。これで時差ボケが解消されると良いのだが。

いわきに向かう列車の中でのお弁当が楽しみなので朝食はおにぎり一個とコーヒーだけに留めた。昨夜の街中華でタップリと食べたからお腹が空いていない。

10時45分発の「日立9号」に乗り13時15分にいわき到着。利光兄の娘、順子ちゃんが改札口に迎えに来てくれていた。「みどりの窓口」で明後日の指定券を購入する。そのあと大船から来るという姉の由紀子を待ち、兄の長女・紀子ちゃんが運転する車で兄宅へ向かう。

1年ぶりに会う94歳になる兄はずいぶん痩せていた。それでも健康に問題は無いらしいが、2人の娘たちの話ではかなり認知症が進んでいるという。わたしにはそれほどとは思えなかったが久しぶりに会うわたしに気を使って兄の気分は高揚しているのかも知れない。

15時に予約してくれていた海沿いのホテルへ向かう。そこにはすでに姉の靖子と姪の美代子が先着していた。各自の部屋に入ってひと休みしてから大浴場へ。そこでは兄と息子の直人がすでに入浴していて、わたしもそれに加わった。ホテルの部屋からは「塩屋崎灯台」も見えた。

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夕食は18時から総勢9人で食卓を囲む。盛り沢山のメニューで食べきれるかどうか不安だったが、わたしは全てをおいしく平らげた。

従業員の仕事が20時で打ちきりというわけで、食事後は兄と息子の泊まる部屋に皆で押しかけ、おしゃべりが始まる。わたしの姉2人が調子よく快調におしゃべりを始めて23時にお開きとなる。最後の30分ほどわたしはまぶたが下りてくるのと戦っていた。

今日の歩数は5,123歩、3,9km。

2日目:時差ボケ真っ最中

2024年5月20日(月)・小雨のち曇り/最高気温22度

時差ボケで午前3時に眼が覚めてから眠れなかった。もしかすると途中でウツラウツラしたかも知れない。

朝食は午前6時ごろにこのホテルの下にあるコンビニでホットコーヒーとおにぎりを二つ買って部屋で食べる。

9時半にアンナと一緒にホテルを出てまずは明日の特急の座席指定券を取得する。昨年来たときにもそうだったのだが、JR は「みどりの窓口」の数をどんどん減らしている。大井町の「みどりの窓口」も昨年にはもう無くなっていた。これからは全て自動販売機で自分でやらなくてはならず、これがちと面倒。アンナと一緒にやってなんとかクリアーした。

その時間にはまだ小雨が降っていて、アンナも新宿に行くか銀座に行くか迷っていた。彼女もわたしも今回の旅の間に JINS で眼鏡を作りたかったから予定を変更して秋葉原のヨドバシカメラ内にある JINS へ行きそれぞれ眼鏡を新調する。

このころからわたしの頭のなかは眠気で朦朧とし始めた。そこでアンナとわたしはいったんホテルに戻り、それから彼女はひとりで東京見物に出掛けた。かなり緊張して出ていったのでわたしも気が気ではなかった。どうやら「渋谷」に向かったらしい。

わたしは一時間ほど眠ったら楽になった。14時過ぎから「お風呂の王様」に行きゆったりと湯に浸かって身体をほぐす。

アンナは18時ごろに帰ってきて経験したことをいろいろと話していた。これで少しひとりで出歩く意欲が湧いてくれるとわたしも楽なのだけれど。

夕食は予定していた街中華へ。驚いたことに外には10人ほどの人たちが並んでいる。そんな店だったかなぁと不思議だったが、周りの人の話では最近マスコミで扱われたらしい。それで納得したけれど味のほうは調理人がいつものご老人ではなく若い人に変わっていたせいかあまり感心しなかった。それでも満腹でホテルに戻る。

今日の最後は洗濯をしたいというアンナにホテル備え付け洗濯機の操作法などを付き合う。

今日の歩数は7,286歩、5.5km。

1日目:ミュンヘンーヘルシンキー東京

2024年5月18日(土)・晴れ/最高気温

6時起床。

6時にタイマーをセットしておいたが、5時過ぎに足が吊って眼が覚めてしまった。まあ、飛行機の中で眠るから寝不足は良いのだが。

ミアと3人で朝食をとり8時14分の Tram で出発。ミアとブリギッテが Tram の駅まで見送ってくれた。途中でアンナと合流し一路ミュンヘン空港へ。なんでも過激な環境保護団体の数人が空港でデモをしたというニュースが流れて、困ったなと思ったけれどその時はその時。

結局何事もなく時間通りにミュンヘン空港に到着。世間は今日から2週間の Pfingsten 休暇に入るということで子供を連れた家族連れが多く大変な混雑ぶり。

ヘルシンキまでの2時間余りはプライムエコノミーの席が割り当てられてちょっと得した気分。しかしそれはわたしだけでアンナは普通のエコノミーに割り振られた。

ヘルシンキに着いてミュンヘンとは1時間の時差があるのに気がつく.乗り換えのゲートに着くまでけっこう歩かされたけれど1時間前に待合室49に到着。Helsinki から München までは JAL の運行に変わった。Finnair も Lufthansa に較べたらサービス面ではまだ正常だと思うけれど、JAL に乗り換えてみるとその差は歴然となる。食事などにも差はあるのだが、乗っていて安心していられることが大きい。これは決してわたしが日本人だからというわけではない。キャビン・アテンダントの質の相違だろう。
下の写真は JAL に替わってからの機内食。

定刻通りに日本時間5月19日・13時25分に羽田着。そこから Japan Rail Pass の手続き、そして Holafly の eSIM をアクティベートしたあとATM で幾ばくかの日本円を引き出してからリムジンバスに乗る。この頃から空模様が怪しくなってくる。

ホテルはいつもの大井町のアワーズイン阪急にチェックイン。

ひと休みしてからアンナにホテルの近所を案内したあといつものコース。立ち飲み屋で前菜を食べたあと締めはもちろんトンカツの「丸八」。大いに満足して長かった1日が終わる。

今日の歩数は7621歩、5.6km。

Hohenberg のアウトレット店で買い物

2024年4月23日(火)・曇り一時晴れ/最高気温8度

6時起床。

今日は Hof の近くで Hohenberg にあるアウトレット店へブリギッテと一緒に出掛けた。以前から1度行ってみたいと思っていたアウトレット店だったが、ようやくそれが実現した。

数年前だったら車で行っていたと思うのだが、最近はわたしもブリギッテも長距離運転は辛くなってきている。ガソリン代も馬鹿にならないし、ドイツ全土で使える49€/月を使おうと計画した。

片道に掛かる時間は4時間近く。しかし年金生活者のわたしたちに時間はタップリある。ちょっと朝の早起きはキツかったけれど、列車に乗ってしまえば楽ちん。乗り換えは2回だった。

Hohenberg というのはチェコとの国境に近いところで、ミュンヘンから行ったわれわれにはかなり寂しい場所と受け取れた。しかし出会う人たちが本当に親切で今日は一日気持ちが良かった。アウトレット店での買い物のあと、陶器美術館を見てこようと思ったのだが、買い物にエネルギーを使い果たしてすっかり疲れてしまったのでパス。

紆余曲折はあったけれど21時半頃には帰宅。幸いにもお天気もまあまあだったので、買い物がなかったとしても一日中遠足のような気分で過ごせて楽しかった。

下の写真は帰途の車窓から写した広大な菜の花畑。

ブリギッテの退院日が決まった

2024年2月5日(月)・快晴 / 最高気温15度

8時半起床。

この時期にしては暖かい一日となった。

昨夜は1度もトイレに起きることもなく6時まで熟睡。これは単純に嬉しい。ゆっくりと朝食をとった後も、のんびりと過ごす。お昼からしばらくぶりに友人と会い一緒に楽しく過ごす。

友人と別れたあと、いったん帰宅して森への散歩に出掛ける。45分ほど歩いて帰宅。

ブリギッテの退院は明後日(木曜日)に決まった。心配だった熱も下がり、その原因もわかったようなのでなにより。黄昏ビールもおいしく感じる。

昼と夕食もカレーライスを食べた。今回はけっこう満足のいく味だったけれどさすがに続けるのは辛い。

街中を楽しんだ

2023年12月9日(土)・晴れときどき曇り / 最高気温7度

7時半起床。

昨夜は20時15分頃に就寝したので、夜中の2時半頃に一度目が覚めたけれど寝足りた気分。

今日は朝から良いお天気になって,積もった雪がどんどん解けていく。庭の片隅に立っていたライラック(Flieder)の枝が雪の重みで折れてしまっていたのを隣家の女性が知らせてくれた。庭師を頼むとこんなちょっとしたことでもかなり高くつくので,隣家の若い男性とブリギッテとがノコギリで切り落としてくれた。わたしが手伝わないのはちょっと気が引けたけれど、年寄りの冷や水でまた怪我をするといけないので任せた。

ブリギッテが今年も飾った天使達のオーケストラ。

保存法がいけなかったのか、数個の塗装が剥げ落ちてしまった。残念。

午後はお天気の中を街中へ出る。いつも行く Café で昼食。久しぶりにゆったりと楽しい時間を過ごした。今日は買い物をせずにそのあとは帰宅。昨夜は長い時間眠ったせいか、今日は昼寝をしたいとも思わなかった。

夕方から懸案の飛行機の予約をする。何度やってもこの作業は苦痛で不安である。友人とブリギッテの助けもあってようやく購入出来たときにはかなり疲労感を憶えた。

Passau(パッサウ) 日帰り

2023年9月20日(水)・快晴/最高気温25度(パッサウ)

7時半起床。

朝眼が覚めてからも Passau に行くべきかどうか迷っていた。それほど気乗りはしなかったのである。ただ、現在開催中の展覧会(柴崎先生の和紙を使った照明)が10月29日までなので行けるときに行っておきたいという気持ちはあった。

展覧会の内容はすでにミュンヘンの「五大陸博物館」で展示された物と大きな違いはないと思うので新鮮な驚きは期待しなかったけれど、パッサウまで観に行ってきましたというアリバイを残しておくために行っておきたかった。

それにわたしはまだパッサウの街を観たことがなかったからそちらの方の興味が強かった。

10時24分発の列車に乗る。珍しく定時に発車、そして帰りの列車も時刻表通りの時間に出発した。これには驚いた。車内もそれほどの混雑ではなくて往きも帰りもわたしの隣は空席だった。12時40分頃にパッサウに到着。

まずは展覧会をと思い崖の上に見える要塞まで行くことにする。以前行った人から昇りはかなりキツイので徒歩で登るのは止めたほうが良いというアドヴァイスを貰っていた。シャトルバスらしきものがあるらしいのだが、その発着場所を探すのに手間取ってしまった。

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で、展示会だが、想像していたとおり内容はミュンヘンの物と大差はなかった。しかし、展示室内から受ける印象は全く違う。単純に真四角な部屋というのではなく昔の要塞の部屋を利用したから、それこそ陰影に富んでいて前に見た作品と同じものでも全く違う印象を持った。入れ物というのも本当に大事なのだということを発見。

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もう一つのお目当てである「高所からパッサウの街並みを見下ろす」ということも素晴らしいお天気に助けられて堪能できた。三つの川が合流する地点の水の色の差違がとても興味深い。

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帰路はマイクロバスには乗らず徒歩で急な坂を下ってきた。下に着いてからのんびりと旧市街を見ながらパッサウの駅まで歩く。西日の強い時間でこれはけっこうな汗を掻いた。駅に到着したら、17時19分の列車にちょうど間に合ってミュンヘンへ。帰りの列車も快適。ただちょっと冷房がきつかった。帰宅は19時25分。

ミュンヘンへ

2023年6月8日(木)・晴れ/最高気温25度

4時半起床。

今日はミュンヘンへ戻る日。Lufthansa/LH715 は9時40分発なのだが今回はホテルの前から出るリムジンバスを利用する。前回までは一度品川駅まで出て、そこから京急で羽田空港までの電車を使った。

今回はスーツケースが2個あるのでできるだけ安楽な方を選びたいと思いこれを選んだ。

ホテルのクローク係員は現在羽田へ向かう道路の一つが工事中なので渋滞があるから品川で京急に乗り換えたほうが確実だという。しかし6時という早朝だし出発までは3時間以上の余裕がある。あえてリムジンバスで行く方を選んだが、結果は6時半ごろには空港に到着してしまった。

前回には気が付かなかった空港内の「お江戸日本橋」。

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飛行機の旅は日本に来る時よりも長いとは感じなかったが、ほとんど満員に近かった。機内食もしっかりと食べて映画も2本見る。ミュンヘンには定時に到着。

ブリギッテが Ostbahnhof まで車で迎えにきてくれたのはありがたかった。

帰宅後はすぐにシャワーを浴びて汗を流す。そのあとざっと旅行カバンの整理。アンナも夕食に加わってパスタと生野菜サラダを食べる。ビールはもちろん Weißbier。

ミュンヘン時間22時20分まで起きていたが強烈な眠気に襲われる。  

最終日も楽しめた

2023年6月7日(水)・晴れ時々曇り/最高気温28

いよいよ今回の日本帰国最終日である。いつもながら、もう1週間いたいなという思いとミュンヘンが恋しくなるのとが入り混じって複雑な心境になる。

これもお約束なのだが、今日はお昼過ぎまでお土産を買ったりドイツに持って行く食料品を漁ったりで過ぎて行った。そしてどうやら旅行鞄にうまく収まりそうだったので安心する。

午後から今回最後の美術館に行くことにする。

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それは東京駅八重洲口から徒歩5分ほどの距離にある「ブリジストン美術館」(ARTIZON MUSEUM) 。想像していたよりもしっかりとした内容と洗練された建造物という感じを受けた。次の帰国の時にはまた改めて訪れたい。現在は下記の催し物だった。

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ちょっと疲れてホテルに戻り、すぐに「おふろの王様」へ。まだ早い時間だったから入浴客も少なくとても気持ち良く楽しめた。

今回最後の夕食はまた近くの中華屋。「餃子」「ニラレバ炒め」「ラーメン」そしてビールと満腹。

明日は4時半には起きたいので、最後のスーツケース点検をして就寝する。

お土産はコンプリート(多分)

2023年6月6日(火)・曇り/最高気温25度

6時半起床。

午前2時ごろにアップル社が WWDC のキーノートを放送したのだが、わたしはもちろん熟睡中だった。起床してからYouTubeに上がっていた動画をざっと眺めてみたが、気がかりだった(気にしてもしょうがないのだが)のは MacBook Airの新製品。これは出るには出たのだが画面サイズが15インチとなっただけでスペックなどはほとんどわたしの買った13インチと変わらないようだったので、どこかホッとした。😉 

2週間ほど使ってみて13インチモデルの軽さとバッテリー持ちの良さに満足している。15インチモデルが出る秋までにどうしても慣れなかったら買い替えても良いかなと思う。そのほかに発表になった新製品、Apple Vision Pro に関してはあまり興味がない。

午前中に荷造りを一度してみようとカバンを開けてみたが、今日やっても仕方がないと思い直す。しかし、少し溜まっていた衣類の洗濯をする。今回のようにこまめに洗濯をすれば持ってくる衣類はもっと少なくても良かったのだが・・・。

11時ごろにホテルを出てまた理髪店へ。5月17日にドイツから日本についてすぐに散髪してもらったのだが、明後日はまたドイツに戻るので少し短めに形を整えてもらった。これでドイツに戻ってもしばらくは安心していられる。

散髪、シャンプー、髭剃り、と気持ちの良い仕事ぶりで料金は2500円だった。おまけに65歳以上は100円の割引だった。
ユーロに換算すると17€である。わたしは現在ミュンヘンでは48€払っている。髭剃りは無し。

そこから秋葉原のヨドバシカメラへ。今回最後の店内散歩だ。そこから徒歩で御徒町まで出て上野松坂屋でブリギッテにお土産を買う。疲れてホテルに戻り少し横になった。

夕食は再びトンカツの「丸八」へ。2週間ほど前にも感じたのだが、老主人が健在の頃の昔の「丸八」ではなくなってきている。今でも水準以上の味と応対ではあるのだが店内の空気が緩んできているような。これも時の流れか。きっと3年間のコロナ禍の影響もあるのだろう。

戸越銀座を歩く

2023年6月5日(月)・晴れ時々曇り/最高気温27度

7時半起床。

昨夜は比較的よく眠れたほうだ。寝覚めも悪くない。加えて今日は昼寝も少しできたので体調は万全。

11時近くにホテルを出て「戸越銀座」へと向かう。数年前にも一度訪れているのだがその時は雨降りのお天気だったのでゆっくりと楽しめなかった。今日はバスを乗り継いで行ってみた。

戸越銀座商店街オフィシャルサイト

バスの乗客の70%はおばあちゃんでそれもかなり年齢が高そうな人が多い。今日のようなお天気の中をバスで外出するというのは大変だろうけれど見上げたものである。やはり女性は元気だ。

「戸越銀座」は狭い通りを挟んで小さなお店がびっしりと並んでいて楽しい。ただ、この狭い道を時折車が走るのはストレスだった。これを撤廃するということは商品の搬入などのためにできないことだとは理解できる。

ちょっと流行っていそうな店で「海鮮丼」の昼食を食べて一旦ホテルに戻る。

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ベッドに横になったら40分ほど眠ったようだ。これで体調も楽になった。

午後は東京郊外の国立市まで同郷(いわき市)の歌手を訪ねる。これまでは立ち話程度だったのだが、今日はもう少し長い時間お話ができた。

ホテルに戻ってから先日食べた中華料理店へ。今日もカウンターは満席。「肉野菜炒め」、「餃子」、「チャーハン」を食べて満腹、満足。日本に来てから確実に1〜2kg は増えているだろう。

藝大声楽科のクラス会

2023年6月4日(日)・晴れ/最高気温27度

今日のお昼は東京藝大声楽家のクラス会があった。その前に10時に以前ミュンヘンに住んでいた友人夫妻がこのホテルのロビーまで土産物を届けてくれた。都内に住んでいるとは云え、わざわざここまで足を運んでくれたことに感謝する。

今日は素晴らしいお天気で12時ごろには日陰を縫って歩きたくなるような好天気。

かつての同級生たちは一番若い人でもすでに70歳の大台に乗っている。皆、無事にコロナ禍をくぐり抜けて集まりたかったのだろう、20名の参加者だった。中華料理店「香港1997 銀座トレシャス店」という店の個室を借り切って2時間の歓談。

下はメニュー。ちょっと懐石料理を思い出させる小ぶりの器が次から次に供された。

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皆さん声楽科出身だけあって話し声が大きく、よく響くので難聴気味のわたしでも会話を楽しめた。

当然、2時間では飽き足らず二次会はそこから歩行者天国中の銀座大通りをブラブラ歩いて『銀座ライオン」の2階で2時間以上の歓談。ここではLINEアプリのグループ化作成で盛り上がる。17時ごろにようやく次回を期して散会。

わたしはそのあと秋葉原の JINS でメガネを受け取り、そのついでにテプラの「ラベル・プリンター」を購入して帰ホテル。

テプラ

部屋に入り一休みしたあと、お目当ての中華のお店で何か夕食を食べようと思ったのだが、日曜日で定休日。仕方なくホテルの隣にある食品館でパック詰の寿司を購入。20時近かったので目の前で半額サービスに切り替わった。ラッキー!

美味しく食べたあと今回初めての「おふろの王様」で湯に浸かる。

孫たちへのお土産を買う

2023年6月3日(土)・雨のち晴れ/最高気温22度

6時半起床。

朝のうちは結構な雨が降っていた。こんなお天気の日には雨に濡れない近場の店で買い物をするに限る。

10時の開店を待ってまずはこのホテル横の100円ショップを覗いてみる。孫たちに何か面白そうなものはないかと探して見たが期待はずれ。

次にホテルと反対側にあるイトーヨーカドーに足を向ける。ここではお目当ての弁当箱が結構な種類置いてあったので熟慮の末に同じ物を4個購入。加えて箸も買った。2段重ねのものでちょっと重い。

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ちょうど昼食時だったので、そのあと「吉野家」のかき揚げ丼を試す。宣伝を見て食べて見たいと思っていた。食べてみた感想は私は普通の「牛丼」の方が好きかな。

夕食は近くの居酒屋で食べる。だんだんドイツに帰る日が近づいてくると何を食べるか迷いが出てくる。限られた期間にできるだけ多く美味しいものを食べようと思うと選択が難しい。